スピノザの宗教とラディカルな啓蒙思想

Wiep van Bunge, "Spinoza and the Idea of Religious Imposture," in On the Edge of Truth and Honesty: Principles and Strategies of Fraud and Deceit in the Early Modern Period, ed. by Toon van Houdt, Jan L. de Jonge, Zoran Kwak, Marijke Spies and Marc van Vaeck (Leiden-Boston: Brill, 2002), 105-126.


近年注目されている議論の一つに、17世紀の哲学者スピノザはラディカルな啓蒙思想の創始者であり、彼の思想がフランス革命を起こした最大の原動力である、というジョナサン・イスラエル博士のテーゼがある。ここ20年、社会史的方法論が独占して来た歴史学の流れをかえるという意味においては、とても重要な役割をイスラエル博士は果たしている。しかし、彼のテーゼが、様々な方面で物議を醸しているのも事実である。


イスラエル博士によるとスピノザの哲学の真の意味は、喩物論的であり宗教を否定するものであると論じる。これはスピノザのテキストの読解からのみ得られた見解ではなく、国境を越えた膨大な量の当時の文献を検証し得られたものである。この論旨に対し本論文は、フランス革命への潮流の中に宗教を否定するラディカルな啓蒙思想の存在を見出しつつも、スピノザ自身の思想をその流れから切り離している。


初期近代において、反宗教の思想はマキャヴェッリを父祖とする。ポリビュオスや13世紀のフリードリヒ2世、アヴェロエス派の思想を参考にしつつ、フィレンツェの思想家は宗教のもたらす政治的利益を論じる。この思想はリプシウスや Lucilio Vanini (1585–1619)、ガブリエル・ノーデ(1600–1653)、カンパネッラ、ホッブスに受け継がれていく。ノーデによれば、モーセはエジプトの魔術をつかうペテン師であり、イエスも同様の術をマスターしていた。モーセがイスラエルという国をつくるために魔術をつかい、ユダヤ人を虜にしたというその議論は、1678年に出版された『知の象徴』(Symbolum sapientiae)に継承されていく。時系列的には、マキャヴェッリから『知の象徴』の間に現れたスピノザの『神学・政治論』(1670年) が、思想的にもすっぽりはまるというわけである。


しかし、実際にテキストを読み込んでいくと、それほどスムーズに議論が進まないことが分かる。『神学・政治論』のなかで、モーセは神の啓示を受けた特別の存在として扱われている。神の啓示は、モーセ自身の迷信やイスラエルの人々が理解できることばで語られているため、科学的な真実を見出すことはできないが、道徳的には真理であるとスピノザは論じる。また、キリストもモーセの創出したイスラエルという神権政治国家の狭隘性と限界を示し、「神の愛と隣人愛」という普遍的な教えを世にもたらしたとして高く評価されている。また、哲学者が理性を通して救済にいたると同様に、一般の人々も聖書の中に明らかにされている「神の愛と隣人愛」という啓示された「神の言葉」を通して救いを得ることができる。


スピノザの『神学・政治論』は、レオ・シュトラウスの論じるように恣意的に矛盾をはらませ、真の教えは哲学者にのみ開かれているというものではなく、マキャヴェッリからラディカルな啓蒙思想へつながっていく反宗教的思想とは一線を画するものであると著者は論じている。このスピノザの宗教思想は、18世紀末になり漸くレッシングを始めとするドイツの思想家たちに理解され、ポスト啓蒙主義的なロマン主義の流れを作り出す原動力となっていく。


On the Edge of Truth and Honesty: Principles and Strategies of Fraud and Deceit in the Early Modern Period (Intersections, 2)

On the Edge of Truth and Honesty: Principles and Strategies of Fraud and Deceit in the Early Modern Period (Intersections, 2)

  • 作者: T. Van Houdt,Jan L. De Jong,Zoran Kwak,Marijke Spies,Marc Van Vaeck,Toon Van Houdt
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  • 発売日: 2003/02/01
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