日本宗教学会:パネル「20世紀ユダヤ哲学再考:政治と宗教のはざまで

 日本宗教学会に参加した。多くの興味深い発表があったが、とりわけ勉強になったのは二日目の午後に行われたユダヤ哲学についてのパネルであった。北九州大の伊原木さんがオーガナイズしたこのパネルは、「20世紀ユダヤ哲学再考:政治と宗教のはざまで」と名付けられ、まず気鋭の若手・中堅研究者によるコーエン(後藤正英)、ローゼンツヴァイク(佐藤貴史)、ブロッホ(伊原木大祐)、そしてレヴィナス(松葉類)についての発表があり、その後、合田正人さんのコメントという流れとなっていた。


 それぞれの発表は非常に充実しており、論文化されたものをぜひ読みたいと思わさせられた。だがそれにも増して興味深かったのは、合田さんのコメントとそれに対する返答である。なかでも佐藤さんとのやりとりは非常に印象的であった。佐藤さんによると、今回のパネルの副題である「政治と宗教のはざまで」には、ひとつの隠れた主題があるという。それは、「アテネとエルサレム問題」という時の、「アテネ」に潜む「ソクラテス問題」であり、それこそがまさに政治における哲学の問題である。だとするならば、その背後に潜むのは、この問いを考え続けたレオ・シュトラウスの影であり、シュトラウスによるユリウス・グットマンの『ユダヤ哲学』批判だというのだ。シュトラウスの指摘は、グットマンの著作には政治的なものが欠落しており、スピノザの問題への根源的な解決がないというものであった。この問題を掘り下げるのが本シンポのひとつの目的であったと佐藤さんは語る。


 その後も興味深い応答が発表者とコメンテーター、またその場にいたユダヤ教研究者からの鋭い質問を交えてなされていった。残念ながらフロアとの議論が盛り上がり始めたところでシンポの終了時間となった。


 充実したシンポであったが、問題設定について少し疑問が残った。たしかにユダヤ哲学を扱うには、佐藤さんのいうようにスピノザ・シュトラウス的な問題が念頭にあるべきで、その点においては哲学・政治的な問題設定は正しい。だからこそ、そこにはメシアニズムやトーラーといった宗教・政治的な主題が深く結びついてくる。だが、同時にユダヤ哲学における宗教的なディメンションを考えるにあたって、それだけで十分なのだろうか。というのも、この問題設定だとユダヤ教に残る異教的・エジプト的なものがまったくといってよいほど捨象されてしまうからだ。逆からいうと、アテネとエルサレムという問題設定自体が、すでに一定の宗教理解を前提としており、宗教的な問題のなかに残り続けていた要素を覆い隠してしまうのである。だとすると、ユダヤ哲学は、アテネとエルサレムの関係のなかだけではなく、そこにアレクサンドリアを加えて語られなければならないのではないだろうか。今回扱われたユダヤ人哲学者の置かれた状況をみても、民主的なポリスよりも、運命を翻弄するヘレニズム的なものにこそ、その本質が見出されるような気がしてならない。伊原木さんが発表のなかでも少し言及していたが、これこそがブロッホによると、モーセの対峙した「世界盲信の、あるいは星辰神話的宿命の宗教」なのである。


 アテネとアレクサンドリア問題としてのユダヤ哲学、あるいはそれにアテネを加えた三都市の問題としてのユダヤ哲学。シュトラウスの影と同時に、ヴァールブルクの影との戯れである。



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