Mogens Laerke とスピノザの哲学言語

Mogens Laerkeは、初期近代の哲学史家である。スピノザ読解者としてのライプニッツについての博士論文をソルボンヌに2003年に提出し(ピエール=フランソワ・モローが指導教官の一人である)、それを2008年に出版している。現在はアバディーン大学の講師をやりつつリヨンの高等師範学校にも籍をおいている。Laerkeの詳しいバイオは、アバディーン大学の彼のホームページに書かれている。


その彼が、先週の木曜日に、私が参加しているダニエル・ガーバー博士の読書会に来て、"Spinoza's Language: Speaking Divinely of Human Things" というタイトルのペーパーを発表してくれた。発表の論旨は、スピノザが行う言語批判を解明していく、というものであった。特に『神学政治論』(TTP)のなかで論じられる預言者たちの使う表象的言語とキリストに啓示される知性的言語の違いが、スピノザ以前の哲学言語とスピノザ自身の哲学言語の違いであるという。一般的に、言語はイメージを表現するものゆえ、概念 (conceptus) を通して「もの」(res) を理解していくことには向いていない(『知性改善論』§§88-89)。というのも、言語ともの自体には、必然的な関係性はない。ラテン語で"pomus"というのは「果実」という意味だが、「ポームス」という音と、果実という具体的なものの間には、一切の必然的な関係性はないからである (『エチカ』2P18S)。


このような言語の曖昧さを克服するために、スピノザは、幾何学的方法 (mos geometricus) を使用したというわけである。Laerke の理解する幾何学的方法は独特で、「言語に暴力をふるう」ものと表現していた。彼によると、意図的に習慣的に使われている意味とは違う意味を語彙に与え、あたらしい文脈の中で新しい意味をもった語彙を使っていくことが、スピノザの幾何学的方法であるそうだ。これは新約聖書がヘブル語の文法の方法を使いつつギリシャ語で書かれたのと似ている、と Laerke は論じる。この例は、新約聖書の解釈を求めるオルデンバーグへの返信でスピノザが使ったものである。このように、スピノザが聖書の言語解釈について論じている箇所を参照することによって、スピノザが行おうとしているの哲学言語の「組織的再構築」(systematic reconstruction) を理解することができる、というのが Laerke の論旨であった。


とても興味深い論旨であったが、『エチカ』でのスピノザの使用する語彙を吟味していくと、幾分疑問が残らなくもない。特に、第一巻で定義される、"causa sui," "infinita," "substantia," "attributum," ""modus," "deus"等は、スピノザ周辺のスコラ哲学との継続性を否定することはできない。勿論、スコラ哲学といっても、中世のトマス、スコトゥスや16世紀後半のスアレスではなく、デカルトを受容したヘーレボールト、デ・レイやクラウベルクなどのネーデルラント・スコラ哲学を意味している。そのためには、Freudenthal や Wolfson とは違う路線で「スコラ哲学」を定義し、そのなかでのスピノザの哲学言語の理解が求められている。このことについては、また違う機会に論じていきたい。