オランダ黄金時代における「自然の書物」とキリスト教神学の枠組み

Eirc Jorink, Reading the Book of Nature in the Dutch Golden Age, 1575-1715. Brill’s Studies in Intellectual History. Vol. 191. Trans. by Peter Mason. Leiden: Brill, 2010.


Reading the Book of Nature in the Dutch Golden Age, 1575-1715 (Brill's Studies in Itellectual History)

Reading the Book of Nature in the Dutch Golden Age, 1575-1715 (Brill's Studies in Itellectual History)


初期近代のオランダは、しばしば近代科学の知的土壌といわれることがある。合理主義的で物質主義的、そして反形而上学的な精神風土のみならず、ステヴィン、ベークマン、デカルト、ホイヘンス、スピノザが活躍したのがオランダであるからだろうか。特に近年では、ジョナサン・イスラエルによる唯物論的に解釈されたスピノザ主義を中心とする「ラディカルな啓蒙主義」というテーゼが、このような初期近代のオランダ像をより強固なものとしている。しかしながらこの既成概念に対して、ホイヘンス研究所(Instituut voor Nederlandse Geschiedenis, ING)のエリック・ヨリンクは『オランダ黄金期における自然の書物、1575-1715年』(2010年)のなかで異なったオランダ像を提示していく。


ヨリンクのテーゼは、黄金期のオランダの知的風土は決して反形而上学的でも物質主義でもなく、むしろ自然は神の啓示の第二の書物と理解されていたというものである。特にネーデルランド改革派教会のもたらしたアウグスティヌス・カルヴァン神学の影響は強く、自然はそれ自身で理解されるのではなく、聖書に準ずる神の啓示の手段としてみられていた。また、「自然の書物」liber naturaeという概念は、いわゆる「近代的」なパラケルススやモンテーニュやガリレオにも使われていたが、オランダにおけるこの概念は改革派神学(あるいはカルヴァン主義)の枠組みのなかでみるのがふさわしいとされる。パラケルススやモンテーニュやガリレオはあくまで外的な啓示に頼ることなく、自然自体の理解を「自然の書物」と呼んでいるからである。


聖書解釈の伝統に加えて、オランダ黄金時代にはもうひとつ重要な知的フレームワークがあった。それはアリストテレス、ガレノス、プリニウスといった古典の伝統である。これはヒロ・ヒライが『医学的人文主義と自然哲学』(2011年)のなかで言及していることだが、この時代において自然哲学者は人文主義者であった。それゆえ自然現象は、聖書と古典の枠組みのなかで理解される。いうなれば、現象の観察と古典の解釈はお互いに補完しあうのである。


ヨリンクはもちろんデカルトやスピノザの合理主義の伝統を軽視しているわけではない。ユトレヒトやレイデンでのデカルト主義を巡る論争にみられるように、デカルトの思想は大きな影響をオランダの知的文脈に及ぼした。スピノザも然りである。これはフェルベークやファン・ブンゲらの研究が明らかにしてきたことである。しかしながら十八世紀にはいるとオランダのデカルト主義は、ニュートンの影響を受けた自然神学の伝統に取って変わられる。そして後者は興味深いことに、正統的なカルヴァン主義神学の啓示と自然という二つの神の書物の伝統を保持していくことになるのである。ヨリンクの主張は次のようなものになるだろう。オランダにおける自然理解の発展は、非合理的なものから合理的なものへというものではなく、自然を理解する神学的な枠組みが十六世紀から十八世紀にかけて連綿と続いていたと理解されるべきなのである。では、この黄金時代に何が変化したのか。


本書の核心部である第三章から第六章は、彗星、昆虫、驚嘆、奇事異聞の解釈史が多様な事例とともに描き出されている。ではなぜ彗星や昆虫なのだろうか。当時の神学的な文脈のなかで、これらは神の奇跡的、あるいは超自然的な業の現れとして理解されてきたからである。不変的な自然の法則の下での現象としてではなく、世界を創造した神の栄光が自然現象を通して木漏れ日のように照らされるとでもいえようか。正統派カルヴァン主義者ヴォエティウスが詩篇十九篇の注解で語るように、自然は神の栄光を写し出しており、その栄光への応答として人間は驚嘆(admiratio)をもって神を誉め称える。アウグスティヌスも詩篇四十五篇の注解で同様のことを語った。いずれにせよ、この時代の自然哲学者たちは、聖書の記述を基礎に、アリストテレス、ガレノス、プリニウスらの古典を読み、神を誉め称えていたのである。


では何が変化したのだろうか。ヨリンクが注目するのは人文主義による本文批評の伝統である。十六世紀の宗教改革にも大きな影響を与えたエラスムスに代表される人文主義は、オランダ黄金時代において飛躍的に発展した。リプシウス、スカリゲル、フォシウスといった人文主義者は、古典のテクスト・クリティークの技術を革新的に高めていったのである。それによって古典の権威は相対化されることになり、より自由に自然現象を観察、分析することが可能となった。勁草書房から近刊予定であるグラフトンの『テクストの擁護者たち--近代ヨーロッパにおける人文学の起源--』(原典は1991年)は、カゾボンによる1614年の『ヘルメス文書』への有名な批判に一章を割いている。この批評によってルネサンス期に栄華を極めた『ヘルメス文書』の権威は失墜することになる。


いずれにせよ、人文主義者たちによる原典批評は、異教徒の古典に留まらず、聖書にもおよぶことになった。レイデン大学のヨセフ・スカリゲル(1540-1609)は新約聖書の歴史的な記述に疑問をもつ。彼はこれを公表することはなかったが、その弟子たちはさらにラディカルな本文批評を聖書に加えていく。また、1655年に出版されたラ・ペイレールによる『アダム以前の人間』は、創世記の歴史性に疑問を付した。ついでにいえば、スピノザのラディカルな聖書批判は、その独自性よりもむしろこのオランダ人文主義の伝統のなかに位置づけられるべきであろう。とにかく重要なのは、これらの批判が「自然の書物」の概念の否定につながったのではなく、より自由に直接的に自然現象を神学的な枠組みのなかで解釈することを可能にしたことである。このようにヨリンクは語っている。つまり、ヨリンクの論点は、聖書と古典を批判することによって、合理主義が生まれたのではなく、神学の枠組みは守られつつもより近代的な科学が創発したというものなのである。この枠組みはオランダにおいて十九世紀までゆるやかに守られていく。


最後に短くではあるが、本書をより大きい知的文脈のなかに位置づけてみよう。本書は、研究対象のみならず、方法論をみても、ダストンとパークによる『驚異と自然の秩序 1150-1750年』(1998年)の系譜にある。つまり十六・十七世紀の思想史を、哲学や科学の狭い枠組みの中で理解するのではなく、神学史、科学史、医学史、芸術史、書物史といった広い枠組みのなかで理解していくものである。この手法こそが、先述したアンソニー・グラフトンが広めたといってもよい、インテレクチュアル・ヒストリーの手法なのである。さらに、ヨリンクの著作へのひとつの返答として、各方面から高い評価を受けているサチコ・クスカワの『自然の書物を描く--十六世紀人体解剖学と医学的植物学におけるイメージ・テクスト・議論--』(シカゴ大学、2012年)をあげることができる。興味深いことにヨリンクは研究の課題として、初期近代における医学・自然科学の書物にみられる図像の分析を挙げており、まさにクスカワがその著作をもって答えているといえるのではないだろうか。日本でもヒライ・小澤編『知のミクロコスモス--中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー--』(中央公論新社、2014年)には、菊地原の「ルネサンスにおける架空種族と怪物--ハルトマン・シェーデルの『年代記』から--」が含まれており、今後も注目を集める研究対象であることは間違いない。