シュライアマハーとオットーの宗教論

Andrew Dole, “Schleiermacher and Otto on Religion,” Religious Studies 40.4 (2004): 389-413.


現代の宗教学を大きく分ける二つの学派がある。ひとつは宗教を自然主義的に理解するもの。これは経済的要因や社会的要因に還元するアプローチも含む。二つ目は、宗教を独自の現象としてとらえ、それ自身の因果関係を探っていくもの。エリアーデなどにつながる二つ目の流れの源流に、本論文であつかわれているルドルフ・オットー(1869-1937)をふくめることができる。


本論文の要旨は、オットーとシュライアマハーの宗教論の類似性は表面的なものであり、実際には対照的な方法論をもって宗教現象を理解しているということである。


オットーの宗教論の根幹には、ヌミノーゼという概念があり、これは超自然的超越存在に主体がふれ、その存在を把握したときにおこる宗教的な心理作用である。超越存在の把握にもちいられるのがAhnungというアプリオリな知覚能力である。この能力を通して主体は超越存在を感情的に理解することができる。


宗教体験において感情を重視するオットーの宗教論は一見シュライアマハーに似たものである。しかし、オットーの宗教論はシュライアマハーではなく、ヤーコブ・フリートリッヒ・フリース(1773-1843)に負うものが多いと著者は論じる。フリースは宗教をあくまで超越的なヌーメノンの経験と理解しており、カントの『判断力批判』を理論的には継承した宗教論をつくりだしている。つまり、人間主体には超越存在を把握する能力が備えられており、宗教を自然的要因に還元することはできないという論旨である。


これに対してシュライアマハーの宗教論は、自然と超自然、また超越存在をわけて思考することはない。むしろ宗教体験は自然の全体性、宇宙の全体を直観したときにおこる感情であると論じている。『宗教論』(1799)の第一版に顕著にあらわれるスピノザ主義は、宗教界からの批判によって若干鳴りを潜めるが、シュライアマハーの教義学である『信仰論』(1821-22, 第二版1830-31)にも脈々と受け継がれている。


シュライアマハーの宗教論は、宗教体験を自然の外部に位置づけることなく、いっさいの超自然現象を否定する。むしろ宗教は自然内の現象として科学的に分析されるべきであり、オットーのように自然を超越する存在との邂逅を宗教現象の実体とすることに批判的である。


ともに宗教感情を宗教論のうちに重視する二人の神学者であるが、理論的枠組みに大きな違いがある。その違いが今日でも宗教学の方法論を大きく分ける一つの要因となっている。


補足
著者はアマースト大学で宗教学を教えているようです。

https://www.amherst.edu/people/facstaff/adole

Schleiermacher on Religion and the Natural Order (Aar)

Schleiermacher on Religion and the Natural Order (Aar)