ヨハンネス・クラウベルクと心身問題
Jean-Christophe Bardout, “Johannes Clauberg,” in A Companion to the Early Modern Philosophy (Blackwell, 2002, 2008), 129-138. Translated by Steven Nadler.
2014年7月発売の『科学史研究』にスティーブン・ナドラーの『スピノザ--ある哲学者の人生』(有木宏二訳、人文書院、2012年)の書評が掲載された。それを記念してではないが、ナドラーが編集した『初期近代哲学への手引き』から一本紹介したい。
デカルト死後のデカルト主義は非常に興味深い。特にネーデルラント共和国での発展は、多様性に富んでおり、当時の知的レベルの高さが伺える。なかでも本ブログにすでに何度か登場しているヨハネス・クラウベルク(1622-1665)が有名である。
クラウベルクはアルノー(1612-1694)やマルブランシュ(1638-1715)といったデカルト主義者ほど有名ではないが、哲学史的にはとても重要な役割をになっている。例えばクラウベルクの貢献の一つに、近代的な意味での形而上学の原型を作ったことが挙げられる。中世における形而上学は、研究対象を最高存在である神なのか存在一般に決めかねていた。これがようやく十六世紀末になって、いわゆる「存在論」(ontologia)としての形而上学が整備された。この分野でのクラウベルクの貢献は、存在論を主題としたモノグラフを完成させたことだろう。
もう一つの貢献は、デカルトによって生み出された心身問題に一つの解決を与えたことだろう。デカルトが思惟(res cogitans)と延長(res extensa)という二つの実体を想起したのは有名である。しかし問題は、この二つの実体がどのように関係して、互いに影響を及ぼすのかということであった。デカルトによると、人間の脳のうちにある松果腺が小さくゆれることによって、精神に影響を与えたり影響を受けたりすることができるとされる。多くのデカルト主義者たちはこの答えに不満を抱いた。たとえばスピノザは、思惟と延長を絶対的に無限な実体の属性とすることでこの問題を解決しようとした。またゲーリンクスやマルブランシュは、神の働きのみが精神と肉体を媒介することができるとした。この立場は機会原因論(occasionalism)とよばれ、一般的にはクラウベルクがこの理論を打ち立てた最初の思想家とされている。
本論文はクラウベルクを機会原因論者とする立場を否定するものである。著者によると、クラウベルクは精神と肉体の独立性は論じたものの、神が直接その二つの実体を媒介するとは主張していないそうだ。ではクラウベルクの立場はどのようなものだったか。1664年に記された『人間における精神と肉体のつながり』(Corporis et animae in homine conjunctio)には、神によって肉体と精神は一致させられているとしか書かれていない。つまり後の機会原因論者たちのように、肉体や精神の変容が起こるたびに神が働くのではなく、神の力によって元来つながるはずのない肉体と精神がつなげられているという説明である。神の介在を最小限にとどめてはいるものの、具体的にどのように肉体と精神が関係しているかは全く明らかにされていない。
1650-60年代のネーデルラント共和国では、クラウベルクやヨハネス・デ・レイ、クリストフ・ウィティキウスといった改革派の神学とデカルト主義を折衷しようとした動きが影響力を誇っていた。スピノザの思想の多くはこのネーデルラント・デカルト主義を超克する試みだと私は思っている。しかし同時に心身問題をみると、精神と肉体のあいだにいっさいの相互関係も認めなかったクラウベルクの思想にスピノザの思想は影響を受けているとみることもできる。
過去記事
「クラウベルクとデカルト主義」
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