インテレクチュアル・ヒストリーという方法論

5月24, 25日に、酪農学園で行われた科学史学会年会のシンポジウム「科学史とインテレクチュアル・ヒストリーの挑戦」(代表柴田)で、インテレクチュアル・ヒストリーという方法論についてコメンテーターというかたちで発表させていただいた。その発表をもとに、インテレクチュアル・ヒストリーというものに考えを巡らしてみたい。


 そもそもインテレクチュアル・ヒストリーとはどのようなものなのだろう。テクストとそのコンテクストを扱えばインテレクチュアル・ヒストリーになるのだろうか。そうであるのなら方法論としての厳密性がないばかりか、新しさもない。方法論をより厳密に定義するために、以下ではインテレクチュアル・ヒストリーの発展史をごく手短に概観していく。


 ドナルド・キャリーが示したように、インテレクチュアル・ヒストリーの起源は古代ギリシャまでさかのぼることができる (1)。しかし時間の都合上、第二次世界大戦後から始めていく。この時期のインテレクチュアル・ヒストリーの発展を語るには、『存在の大いなる連鎖』で知られているアーサー・ラヴジョイと彼が編集に携わった雑誌Journal of the History of Ideas を挙げなければならないだろう。ラブジョイは観念・アイデアの自律性を謳っており、思想研究の焦点はコンテクストにではなく、時空を超えた観念の発展にあると理解している。アンソニー・グラフトンによると、ラブジョイは学際的な共同研究を推進していたので、哲学という狭い枠組みのなかのみで概念の発展を捉えることはなかったとされる (2)。しかし戦前のドイツの精神史(Geistesgeschichte)の伝統を引き継ぐレオ・シュピッツァーにみられるように、ラブジョイのテクストとコンテクストを軽視する方法論に当初から批判を呈していた学者もいた。


 インテレクチュアル・ヒストリーの発展を理解するうえでもう一つ重要な点がある。世界大戦後のアメリカには戦火を逃れた著名なヨーロッパの学者が多くいた。このことは、学問の垣根がヨーロッパに比べて低かったアメリカの大学で、亡命学者による学際的な研究を多く生み出すことに貢献した。なかでもフェリックス・ギルバートやヴェルナー・イェーガーやパノフスキーなどはこの有名な例である。


 60-70年代にはいり、限られた範囲のなかでの言語の意味作用を重視するウィトゲンシュタインの哲学が主流になるにつれ、ディアクロニック・通時的に観念の発展を研究するヒストリー・オブ・アイデアは隅に追いやられるようになった。同時に学際的な思想研究も軽んじられるようになる。より厳密な学問をもとめて科学史が観念史から独立した分野として確立されるのもこの頃のことである。


 しかしインテレクチュアル・ヒストリーは80年代に入り息を吹き返すことになる。概念やテクストに焦点を当てたこれまでの方法論ではなく、より歴史的に思想を理解するという動きがでてきた。初期近代の思想研究では、スキナー、ポコックのケンブリッジ学派やケンブリッジ・シリーズに代表される哲学研究などが例としてあげられる。


 90年代以降では、テクストの生成過程や受容される共同体をふまえた思想研究がでてくる。文芸共和国や出版社の役割がそれである。同時に思想の物質的な文脈、つまり活版印刷の発展や図書館といった思想形成の土台となったような物資的なものや場も、思想研究において重要視されるようになる。


 近年では思想家や観念に焦点を合わせるのではなく、コントラヴァーシャル・ヒストリーという手法、つまり議論に焦点をあわせる研究方法に注目が集まっている。ジョナサン・イスラエルやアン・トムソンなどの研究をこの手法の代表的なものとしてあげることができる。


 このようにインテレクチュアル・ヒストリーといっても歴史的な変遷があり、その定義に関して多くの議論がある。思想の理解にコンテクストを重視するというとき、その文脈とは何を指しているのだろうか。隣接する他のテクストなのか、議論なのか、共同体なのか、政治なのか、方法論的な厳密さが研究者に求められる。



(1) Donald R. Kelley, The Descent of Ideas: The History of Intellectual History (Aldershot: Ashgate, 2002).
(2) Anthony Grafton, “The History of Ideas: Precept and Practice, 1950–2000 and Beyond,” Journal of the History of Ideas, Jan. 2006, 7-8.

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