ジョナサン・イスラエルによるアン・トムソン批判

Jonathan Israel, Review of Ann Thomson, Bodies of Thought. Science, Religion and the Soul in the Early Enlightenment (Oxford: Oxford University Press, 2008), 320 pp. in Intellectual History Review 19(1) 2009: 141-142.

Bodies of Thought: Science, Religion, and the Soul in the Early Enlightenment

Bodies of Thought: Science, Religion, and the Soul in the Early Enlightenment


 「ラディカルな啓蒙思想」のテーゼで知られるジョナサン・イスラエルによるアン・トムソンの『思惟の身体: 初期啓蒙思想における科学、宗教、霊魂』(オックスフォード大学出版、2008年)の書評は短いながらも思想史の面白さと難しさを見せてくれる。トムソンがこれまでにあまり研究されてこなかった英国とフランスの医学に造詣の深かった思想家たちに光を当てたことは評価しつつも、イスラエルは二つの根本的な批判を与えている。一つは、トムソンが論じるようなディドロとエルヴェシウスに代表される唯物論の二つの系譜は存在しないというものである。確かに幾つかの重要な点においてディドロはエルヴェシウスを批判したが、物質論についてはそれほど異なったものではないと論じている。イスラエルの研究が示しているようにフランス革命直前のラディカルな思想家たちには共通する思想的な父祖がいた。スピノザである。スピノザ主義こそがラディカルな啓蒙主義の根幹にあったものであり、ディドロもエルヴェシウスの唯物論もスピノザ的に理解されるという。


 二つ目のより根源的な批判は、トムソンの研究によると唯物論と共和主義的な民主制には関連性はないとされるが、この二つの親和性こそがラディカルな啓蒙思想の中心にあるというものである。確かにホッブスやラ・メトリの唯物論はラディカルな政治思想を生み出さなかったが、スピノザ以降、ドルバックやコンドルセやペインらの思想家たちは明らかに唯物論と共和主義的民主制に親和性を見出していることから、この点をトムソンの研究は大きく見誤っているとイスラエルは批判する。


 イスラエルの評価は手厳しいものであり、実体を欠いているものではないが、イスラエルの研究もまさにここで強調された点において幾つかの手厳しい批判を受けていることも知られなくてはならない。つまりイスラエルは「ラディカルな啓蒙思想」というスピノザ主義の系譜の一義性を強調するあまり、思想の多様性と複雑さを還元してしまうというものである。特にイスラエルのEnlightenment Contested(Oxford, 2006)以降、テーゼ先行の傾向はますます強くなってきている。宗教的なものや医学的なものが啓蒙思想にもたらした影響を見なければ、イスラエルの重厚な研究もいささかホイッグ史観になってしまう恐れがあることから、啓蒙思想の多様性を理解するためにもトムソンの研究をふまえる必要は大いにある。


 インテレクチャル・ヒストリーの面白さはテーゼに還元できないおもしろさにあるのは事実である。とはいっても多様性を重視するあまり、解釈学的な要素、つまり歴史における思想の事象がいったいどのような意味をもつのかという問いがないがしろにされてしまう傾向もある。雑多な事象に目をひらきつつ、思想史の意味を見いだしていくことは容易なことではない。だからこそ膨大な文献を読み込みそれに果敢に挑戦し続ける研究者にも敬意を払わなくてはいけないのではないだろうか。


補遺:本日2014年3月14日(金)15時より慶應義塾大学(東京・三田)研究室棟1階B会議室で、トムソン教授の講演が行われます。演題はBodies of thoughtとなっており、このイスラエル教授によるレビューとも大きな関係をもつものになるのが予想されます。詳細はこちら


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