『知のミクロコスモス』プレビュー: 小澤実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立--デンマークの事例」

小澤実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立--デンマークの事例」ヒロ・ヒライ、小澤実編『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』中央公論新社、2014年、69-97頁。


声高々に「源流に戻れ ad fontes」と唱えたルネサンス人文主義が、古遺物に囲まれたイタリアの地で産声をあげたのは周知の事実である。そしてその知的運動が当時のヨーロッパのリングア・フランカであったラテン語という言語ネットワークを使い、パリや低地ドイツといった北ヨーロッパに広がり、そしてついには「人文主義の貴公子」と呼ばれたエラスムスや「全ドイツの教師」と謳われたメランヒトンを生み出したのも良く知られている。しかしその運動が遠くスカンディナヴィアの地で花開き、ラテン語のもつ普遍性とは対極に位置づけられる民族アイデンティティを確立したことはそれほど知られていない。そこに目をつけたのが『知のミクロコスモス』第三章にあたる小澤実の「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立」である。


十四世紀末に確立されたデンマーク、ノルウェー、スウェーデン(そしてデンマークの支配下にあったアイスランド)によるカルマル連合は、十六世紀前半にスウェーデンが自らの王を擁立することで瓦解する。また、ほぼ同時期に北部ドイツで始まった宗教改革運動がスカンディナヴィアに広められローマの影響力を払拭することによって民族的なアイデンティティをより強靭なものにしていく。本論文は人文主義者たちがこれらの政治的・宗教的な改革に大きな影響を及ぼしたことをスウェーデンとデンマークの事例を多く引きながら教示してくれる。


人文主義と民族的アイデンティティの形成はかのマルティン・ルターを筆頭とするドイツ宗教改革においても顕著にみられたものだった。ルターは1520年に出版された『ドイツ国民の貴族に与う』を通してローマによる霊的な支配から独立することを訴えかける。他にもウルリヒ・フォン・フッテンらがタキタスの『ゲルマニカ』の解釈を通して「ドイツ的なもの」を人々の中に植え付けようと努めていた。同様の動きがスカンディナヴィアの地にも見られるのだった


本論文は、スウェーデンやデンマークにおいて民族の歴史や言語を学ぶことがどのような政治・精神的文脈でなされたかという問いに注目する。特にスウェーデンでヨハン三世の官職についていたブレウスによるルーン文字研究や、イェリング石碑の1586年の再発見を嚆矢とするデンマーク独自の領土認識や民族アイデンティティの確立の試みはとても興味深い。マールブルクやバーゼルで秀でた人文教育を受けたデンマークのオラウス・ウォルミウスの博物館の記述などは、5章の菊地原論文と絡めて読まれたいところである。


中世・初期近代ヨーロッパにおいて知の構築はただ衒学的なものにとどまるのではなく、当時の重要な政治的な役割を果たしていた。インテレクチュアル・ヒストリーとは、その絡み合った政治的、民族的、思想的な塊を少しほぐしてやり、現出してくるものに目を見張る行為に過ぎない。その醍醐味を本論文はスカンディナヴィアというヨーロッパにおける辺境・リミナルなものを通して味合わせてくれるのではないだろうか。


補遺:ちなみに5月31日、6月1日の西洋史学会で、小澤先生と共にポスターセッション「国家・論争・知識人--十七世紀デンマーク王国とネーデルラント共和国におけるテクスト生成に関する比較考察--」を行う予定です。詳細はこちら


知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー

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