ネーデルラント・デカルト主義におけるプラトン哲学の影響

Han van Ruler, “Substituting Aristotle: Platonic Themes in Dutch Cartesianism” in Platonism at the Origins of Modernity: Studies on Platonism and Early Modern Philosophy, eds. Douglas Hedley and Sarah Hutton (Dordtrecht: Springer, 2008), 159-175.


中世盛期から初期近代にかけて、西洋の大学の中で特権的な地位を占めてきたアリストテレス哲学が、デカルト主義の登場によって零落していったことは広く知られている。しかしデカルト哲学の教授が禁止されていた1650-60年代のネーデルラントの大学において、デカルトの哲学がプラトン主義を身にまとっていたことはそれほど知られていない。本論考は、プラトン哲学に影響をうけたフローレンス・スカイル(1619-1669)とアーノルド・ゲーリンクス(1624-1669)のデカルト主義を明らかにしてくものである。


スカイルはそのキャリアをアリストテレス主義者として始めているが、20年の歳月を経てデカルト哲学の擁護者として60年代に活躍することになる。とくに1668年に出版されたデカルトの『人間について』(De homine)の編集をつとめている。その序文の中でスカイルは、人間の肉体の働きを精神から完全に分離させ、外的な刺激への神経作用として説明している。また1667年2月におこなったスピーチのなかでは、デカルトの『省察』の中心的な議論を、デカルトの名をださずアウグスティヌスを引用のみで展開している。そしてレヴィウスなどの反デカルト主義者たちへは、ヒポクラテス、キケロ、ガレノス、カルヴァンからの引用を使って、デカルトの哲学の証明を試みている。


他方ルーヴァンからライデン大学へ移ってきたゲーリンクスは、デカルト主義擁護の立場から古典的な哲学を否定したが、プラトンにだけは特権的な位置を与えた。また、存在と生成を考えるにあたっては、肉体を無限に延長するものとしてとらえ、その様態が時空に表現されるとした。認識論に関しては、「知恵」(sapientia)という概念をつかい、知の階層をプラトンにならって展開したことも知られている。本論文の著者のファン・ルーラーは、このゲーリンクスの認識論にスピノザの直観知の概念への大きな影響をみている。


スピノザ自身はプラトンを引用することはなかったが、ファン・ルーラーのいうように、ライデンのデカルト主義者たちを通して、プラトン主義の影響を受けていたのだろうか。それともスピノザの哲学は、プラトン主義の影響をうけたデカルト主義を超克するものだったのだろうか。いずれにせよ、スピノザ哲学を理解する重要なカギを、ネーデルラント・デカルト主義が握っていることは確かである。