ジョナサン・イスラエルとラディカルな啓蒙主義の集大成としてのフランス革命

先日、プリンストン大学とプリンストン高等研究所(IAS)主催の、18世紀セミナーに行って来た。今年度初めてのセミナーは、IASの上級研究員である、ジョナサン・イスラエル博士の Democratic Enlightenment: Philosophy, Revolution, and Human Rights, 1750-1790 (Oxford, 2011) という、Enlightenment シリーズの第三巻の出版を記念して行われた。セミナーの順序としては、大学のフランス革命の専門家である David A. Bell の提言のあと、イスラエル博士のレスポンスが続くというものであった。


出版記念セミナーなので、優雅な舞のような新刊の紹介なのかと思っていたら、いやいや、かなり白熱した議論を聞くことができた。イスラエル博士のテーゼは、スピノザの思想的系譜につらなるドルバック、エルヴェシウス (Helvétius)、コンドルセ、ミラボーなどの「ラディカルな啓蒙主義者」たちの思想が、実はフランス革命の真の原因であり原動力であった、というものだ。これをきくと、一見、思想史からフランス革命をみる古くさいアプローチの再現かと思われるかもしれないが、イスラエル博士の方法論は、フィロゾーフの思想書のみならず、当時のパンフレットや雑誌、新聞などにあらわれた議論・論争をおいかけ、政治運動にどのような影響を与えていったを考察していく、新しい思想史的方法である(自身は、Intellectual History でも Social History でもない Controversial History と呼んでいる。詳しくは、Enlightenment Contended の序章を参考)。


1000ページを超える、膨大な文献に対して、ベル教授はどのような提言をするのかと、興味深く聞いていたが、明確かつかなり根本的な四つの批判を加えていた。一つは、1789年以前の「革命」(revolution) の定義は、フランス革命以降と随分違っており、フィロゾーフたちが「革命」を起こす主体である「革命家」(revolutionaries) として、自分たちを認識していたかは、疑わしいというもの。二つ目は、博士が注目する多くのフィロゾーフ(特にコンドルセやセイなど)は、1792年以前には、それほど公的な影響力はなかったということ。三つ目は、フランス革命のなかで最も重要な概念の一つである「一般意志」は、スピノザの思想的影響ではなく、ルソーであり、フィロゾーフが受けた最も顕著な思想的影響もルソーであるというもの。最後は、博士の提唱する「ラディカルな啓蒙派」という政治的な中心性をもつ動きはなかったというもの。


ベル教授は、フランス革命という大きな歴史的な動きは、重層的であり、偶然性が多大な影響を及ぼしながら派生したものであり、ひとつの大きな思想・政治的思惑が決定的な影響力をもったという博士のテーゼに真っ向から反駁する議論を展開した。勿論、博士も経済、社会、政治的な様々な因子が契機となり、革命がおこるに至ったということは一切否定していないが、その流れの中でも、スピノザの思想をくむラディカルな啓蒙主義者たちが、一番の原動力を革命にもたらした、と論じている。


白熱するやりとりは、場内からの質問の時間を大幅に削ることになり、また、場内の質問もいつの間にか二人の議論になっていくという凄まじいものであった。しかし、もっと二つの卓越した知性の真っ正面からのぶつかり合いを聞いていたいと思ったのは、おそらく、私だけではなかったはずだ。


Democratic Enlightenment: Philosophy, Revolution, and Human Rights 1750-1790

Democratic Enlightenment: Philosophy, Revolution, and Human Rights 1750-1790