ルターの『95ヶ条の提題』は実際に打ち付けられたのか!?


来年は宗教改革500周年である。これはルターが1517年10月31日に、『95ヶ条の提題』をヴィッテンベルク城教会の扉に貼り付けたのを記念している。というのも、この『提題』をきっかけに宗教改革はヨーロッパ中に広まっていったからである。そのため、宗教改革と聞くと多くの人はルターが『提題』を打ち付けている右のような図をイメージするのではないだろうか。だが、最近では、このドラマチックな出来事は実際に起きたものではなく、伝説だと信じられるようになっている。


1960年代にカトリックの宗教改革研究者であるErwin Iserlohが、提題の原本がないこと、また目撃証言はなく、証拠としては当時まだヴィッテンベルクにいなかったメランヒトンが1518年に記述したものしかないことなどを理由に、この出来事の信憑性を疑問視した。これをきっかけに多くの研究者たちのあいだで議論になり、以降イザーローの説が有力になるのだ。


これにたいして、A・ペディグリーは、最近出版されたBrand Luther: 1517, Printing, and the Making of the Reformation (New York: Penguin Press, 2015; 『ルターというブランド:1517年・印刷・宗教改革の制作』)のなかで、ルター自身が城教会の門に打ち付けたと主張する。その理由として、彼は比較的最近になって発見された『スコラ神学反駁』(95ヶ条の8週間前に出版された)の原本をあげる。この『反駁』は当時、大学の出版をおもに扱っていたヨハン・ラウ・グリューネンベルクによって刊行されており、この出版物の印刷の形式が、バーゼルやニュルンベルクで刊行された『95ヶ条』の印刷形式と一致しているのだ。その印刷形式とは、提題が25づつにまとめられたものであり、バーゼルやニュルンベルクの印刷工はラウ・グリューネンベルクの形式を参考にしたのは間違いがない。そして、もしラウ・グリューネンベルクが『95ヶ条』を印刷したのであれば、当時の大学の一般的な慣習に従って、城教会の扉に打ち付けられていたはずである。これがペディグリーの主張である。


この論述からも分かるように、ペディグリーは初期近代の出版文化について造詣が深い。邦訳が最近でた『印刷という革命:ルネサンスの本と日常生活』桑木野幸司訳(白水社、2015年)やThe Invention of News: How the World Came to Know About Itself(Yale University Press, 2014;『ニュースの発明:世界はいかにして己を知るに至ったか』)の著者でもある。この書物のなかでも宗教改革について頁が割かれているが、Brand Lutherはいかに「ルター」にちなんだ出版のブランドが作りだされたのかという点に全体の焦点がおかれているのだ。ペディグリーとその業績については、桑木野氏が前掲書に「初期近代印刷文化の興亡と万有書誌の夢:訳者あとがきに代えた文献案内」のなかで詳しく記されているので、そちらをご参照されたい。


ちなみに、昨年6月に立教大学で開催したシンポジウムがベースとなった「〈特集〉宗教改革の伝播とトランス・ナショナルな衝撃 : 宗教改革五〇〇周年にむけて) 」が、立教大学文学部史学科の機関誌『史苑』第76巻1号に掲載されている。これはリポジトリにアップされているので、宗教改革に興味のある方はご覧いただきたい。


印刷という革命:ルネサンスの本と日常生活

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The Invention of News: How the World Came to Know About Itself

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