スティーヴン・ガウクロガー『科学的文化の台頭--科学と近代の形成、1210-1685年』(2006年)

The Emergence of a Scientific Culture: Science and the Shaping of Modernity 1210-1685

The Emergence of a Scientific Culture: Science and the Shaping of Modernity 1210-1685

  • 作者: Stephen Gaukroger
  • 出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.
  • 発売日: 2009/01/15
  • メディア: ペーパーバック
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すでに全三巻中二巻が出版されたスティーヴン・ガウクロガーによるシリーズの第一巻である本書については、複数の素晴らしい書評がでている。それゆえ今回は全体の紹介ではなく、いくつかの疑問点を挙げることで議論の端緒となればと思っている。


イェール大学のDavid Marshall Millerによる書評はこちら


ロジャー・アリューによる書評はこちら


これらの書評や他の著名な研究者の発言を通して、ガウクロガーの著作には必ずしも肯定的ではない評価があることがわかる。大きな問題の一つに、ヒロ・ヒライ博士やアリューが指摘しているように、キミアや生命論、占星術、魔術、錬金術といった、ルネサンスの時代においては知の体系に組み入れられていた諸分野が、本書ではとりあつかわれていない、というものがある。つまり、1210年から1685年にかけて興隆した科学とその文化の発展を描き出すのが目的なのに、あまりにも「十七世紀」に比重が置かれすぎていないか、という疑問である。著者は十七世紀、とくにデカルトの専門家としてキャリアを形成してきた人であるゆえに、必然的におかれる重点ではあるのだが、十三世紀から十七世紀後半までの通史としてはやや深みに欠ける。


もう一つの大きな問題は、中世神学・科学の理解についてである。エティエンヌ・ジルソンの影響を受けてか、トマス主義を「中世」のパラダイムとして議論をガウクロガーは議論を進める。また1277年にパリでエティエンヌ・タンピエによって下された譴責が、トマスの思想に対するものであり、トマス主義の失敗がさまざまな自然哲学の興隆のきっかけとなったと論じている。しかしトマスの1323年の聖人化や、バーゼル公会議( 1431-49年)以降の大学のカリキュラムにおけるトマスの再評価をみると、必ずしもトマスの影響力が衰退していたとはいえないのではないだろうか。


また、十四世紀における理性と信仰を調和させる試みにおいては、トマスのみならず、スコトゥスの影響が強くあったということは理解されなくてはならない。ガウクロガーは、「トマス対自然哲学者」という対立構造を描き出しているが、これは正しくない。中世後期においてトマスとスコトゥスはカトリック教会の二つの大きな権威であり、相容れないところは多いが、それぞれ理性と信仰の調和を提示しており、どちらとも広く受け入れられていた。それゆえ、両者による信仰と理性の調和の試みに対する挑戦として、神秘思想、オッカム派、アヴェロエス主義などがあったと理解するほうがより正確である。補足になるが、十六世紀後半から十七世紀前半にかけても、スコトゥス主義の興隆があり、この思想的背景とデカルトやマルブランシュとの関係については、ブリル社から出版されたアリューの『スコラ学者たちのなかにあるデカルト』(Descartes among the Scholastics])という近著を参照にされたい。


Descartes Among the Scholastics (History of Science and Medicine Library: Scientific and Learned Cultures and Their Institutions: Vol. 1)

Descartes Among the Scholastics (History of Science and Medicine Library: Scientific and Learned Cultures and Their Institutions: Vol. 1)


ガウクロガーの主題にも、一つ大きな問題がある。近代科学の発展においてキリスト教の影響が不可欠であり、特に十七世紀以降においては、自然神学と自然哲学の対立が超克され、あたらしい総合体が創りだされたというのが、ガウクロガーの主張である。しかし、大きく「キリスト教」といっても、宗教改革以降、たとえば改革派の発展ひとつをとっても、紆余曲折ある。宗教改革の初期と十六世紀後半の宗派化のなかでの思想には、大きな違いがあるし、十七世紀においても、ネーデルラントであれば、デカルト主義との折衷をもとめたコクツェーユス派と、それに対抗した保守正統主義があり、その細かい議論を当時の政治的な文脈のなかでみていかなければ、「キリスト教」と自然哲学の関係に関する明確な議論はできないのではないだろうか。


しかしこれらの問題点を差し引いたとしても、ガウクロガーの著作が読み応えのあるものには変わりない。本作とその主題は、ジョナサン・イスラエルによる「ラディカルな啓蒙思想」というテーゼと同様に、多くの議論を各方面で創出している。スピノザ主義を啓蒙思想の根本にみるイスラエルと、それに真っ向からぶつかるガウクロガーの両者が、複数巻にわたる大著を記し、議論を醸し出しているというのは興味深い事実である。また同時に、このような大著が生み出され、大きな議論が巻き起こる時代に生まれた幸運を、私たちは噛み締めるべきではないだろうか。


参考文献

このシリーズの第二作

The Collapse of Mechanism and the Rise of Sensibility: Science and the Shaping of Modernity, 1680-1760

The Collapse of Mechanism and the Rise of Sensibility: Science and the Shaping of Modernity, 1680-1760

ジョナサン・イスラエルの『ラディカルな啓蒙』シリーズ

Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650-1750: Philosophy and the Making of Modernity, 1650-1750

Radical Enlightenment: Philosophy and the Making of Modernity 1650-1750: Philosophy and the Making of Modernity, 1650-1750

Democratic Enlightenment: Philosophy, Revolution, and Human Rights 1750-1790 (English Edition)

Democratic Enlightenment: Philosophy, Revolution, and Human Rights 1750-1790 (English Edition)