「bibliotheca hermetica 叢書」第二弾: 『パラケルススと魔術的ルネサンス』

パラケルススと魔術的ルネサンス (bibliotheca hermetica 叢書)

パラケルススと魔術的ルネサンス (bibliotheca hermetica 叢書)


世界的に活躍する初期近代思想史家、ヒロ・ヒライ博士による「bibliotheca hermetica 叢書」第二弾が、ついに昨年末に勁草書房から出版された。榎本恵美子女史の『天才カルダーノの肖像』に続くこの第二弾は、九州を拠点に活躍されている思想史家、菊地原洋平氏による待望のパラケルスス論である。残念ながら私は参加することができなかったが、年末に出版を記念して、紀伊国屋書店新宿本店でイベントが開催され、大盛況であったと聞いている。多方面で話題を集める本書ゆえ、すでにいくつかの素晴らしい書評がでており、またパラケルススの専門家ではない私がこの本の紹介をするのはどうかとも思ったが、以下では『パラケルススと魔術的ルネサンス』の構成の簡単な紹介とともに、宗教改革と黙示思想の関係で個人的に特に興味をひかれた箇所を中心にコメントしていきたい。


『パラケルススと魔術的ルネサンス』は著者の15年の研究の成果をまとめたものである。六つのトピックからなる本論は、もともとそれぞれが独立した論文であった。その六章に加えて、ルネサンス時代の「徴」の理論をあつかった補遺を加えた構成となっている。第三章のベースとなる最初に出版された論文が2001年、つまりおよそ12年もまえのものであることを鑑みると、まとまりをもったひとつの著作とするのに多大なる労力が要せられたことが察せられる。手短に六章の内容をみてみよう。


第一章では簡潔にテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム、別名パラケルススの実に奇妙な生涯が、その遍歴と著作からまとめられている。人文主義と宗教改革という十六世紀前半の大きな二つの運動のなかにあって、独自の思想を展開したパラケルスス。その人物像を「魔術」や近代医学からはずいぶんと姿形のちがう医学といった当時の精神的な文脈のなかで明らかにしていく。パラケルススの独特な本草学と錬金術をわかりやすく説明したのが第二章、そして第三章では、近代の化学哲学にも連なるパラケルススの物質理解が、四元素と三原基という概念を鍵にしながら読み解かれていく。


第四章は特に興味深く、当時流行していた梅毒治療法への、パラケルススの批判であった『グアヤックの木について』と『フランス病にかんする三書』(ともに1529年出版)を分析している。グアヤック治療の医学的根拠は、グアヤックの木の輸入ビジネスに携わっていたアウグスブルクのフッガー家の重要な利権を支えるものであり、パラケルススが医学的であったにしろ、これに理論攻撃を加えるということは、当代随一の銀行家であったフッガー家の息のかかった御用学者たちを敵にまわすことを意味した。いつの時代もかわらない、利権と似非学問の密接な関係に憤怒するパラケルススの姿が、不遇と批判にさらされることによって経験した様々な葛藤とともに詳しく描きだされていく。続く第五章では、パラケルススによる占星術と予言書についての理解が記されている。そして最終章である第六章では、十六世紀西欧の文脈において、非常に重要な役割をになった類似の概念について述べられている。これら六章と補遺をとおして、奇才パラケルススの思想の全体像が明らかになっていくというわけである。次に、私自身の興味とも共鳴する占星術と予言書についてあつかった第五章を、もう少し詳しくみてみよう。


予言と占星術、ひいては黙示思想といった十六世紀初頭において人間と社会の将来を示唆する「学問」についてのパラケルススの理解を、晩年の主著『フィロソフィア・サガクス』に影響を与えた予言書から理解していくのが第五章の目的である。パラケルススの時代における予言とはどういうものだったのだろうか。戦争、災害、疫病、飢饉といった国々と人間共同体に大きな影響を及ぼす出来事を予知することが予言と理解されていた。ではどのようにして、予言というものは可能になるのだろうか。世界は神によって作られており、天と地には密接な関係があった。詳しくいうと、体内の器官は天の星々とつながっており、星の動き、すなわち星辰が人間の将来を大きく左右することになる。それゆえ占星術師とは、天と地のつながりの知識にたけており、その知識をもって予言を可能にしていた人たちを指していう。そのなかでもパラケルススは十六世紀初頭において特に秀でた占星術師であった。


星辰の他にも予言の源泉として、カトリック教会が中世においては担っており、十五世紀以降は占星術師が記してきた暦兆や、図像の意味を解釈して、予言として解き明かす図像解釈があったと著者は紹介している。後者は宗教改革者のマルティン・ルターが、教皇に対して使用することや、カトリック教会が、農民戦争の指導者トーマス・ミュンツァーの批判のために使うこともあった。暦兆や図像に加えてまた、彗星や地震、虹らの異常気象をもとに予言をすることもあったようである。たとえばパラケルススは彗星の観測とその後起こった地震をもとに、スイス宗教改革の指導者であるフルドリッヒ・ツヴィングリの不利な情勢を予言した。


これら星辰、暦兆、図像、異常気象を源泉としたパラケルススの予言は、現代の基準からするとかなり魔術的で、キリスト教からかけ離れたようなものにみえなくもない。しかしパラケルススにとっての予言とは、あくまでキリスト教的、福音の伝播と神の国の到来を願うものとして理解されており、また実践されていたものであった。このことは明確に理解されなくてはならない。現代的な認識の枠組みから大きくはみ出でるこのようなパラケルススの予言についての正確な理解は、十六世紀前半の思想的、そして宗教的な文脈の中で努めて理解しようとする著者の重要な功績のひとつであり、本書をよむ上での大きな報酬のひとつであると私は思う。


手短に『パラケルススと魔術的ルネサンス』をみてきたが、最後に二つほど気になる点を提示しておこう。ひとつは前節で紹介した第五章についてのことであるが、著者の理解する初期近代の予言と占星術、そして黙示思想にもうすこし明確な線引きがなされるべきではなかったか、という点である。十六世紀初頭において、これらの概念が総じて人間の運命や未来を示唆するものであったのは事実である。しかしそれぞれに独自の思想的系譜があり、踏襲する伝統があることを考えると、中世からの流れを含めてもうすこし丁寧に論じることができたのではないだろうか。しかしながら、日本においてはほぼ皆無といってよい分野に言及した著者の功績は認められなくてはならず、我々が望むべきことはこの分野におけるさらなる研究が出来することである。


もう一点は、全体の構成における補遺の位置づけである。哲学者ミッシェル・フーコーもあつかった初期近代における「徴」の理論を、パラケルススのそれを分析することでさらに明らかにした論文自体は素晴らしいものである。しかし全体の構成をみると、そこで語られた内容はいくぶん前章までの重複とみなすこともでき、六章のうちにうまくとけ込ませることができたのであれば、より統一性のある優れた論考になったのではと思う。僭越ながら、二つほど気になる点を述べさせていただいたが、それらをふまえたとしても、菊地原洋平氏による本書『パラケルススと魔術的ルネサンス』は、本邦におけるパラケルスス研究、ひいては初期近代思想史研究を大きく前進させた力ある一作と呼ぶことができるのではないだろうか。