カルヴァン主義とスコラ学の関係

Carl R. Trueman, "Calvin and Calvinism" in The Cambridge Companion to John Calvin (Cambridge: Cambridge University, 2004), 225-244.


従来の研究において、ジャン・カルヴァン (1509-1564) と改革派(カルヴァン派とも呼ばれる)の関係は相反するものとみられてきた。この考え方は20世紀の神学者カール・バルト以降有力になった新正統派主義によってもたらされたものである。カルヴァンの生き生きとした聖書主義や敬虔主義にくらべて、彼の思想的末裔である17世紀の改革派神学者たちは合理主義に陥り、啓蒙主義の旗手になった、と。しかし、この考え方はとくにここ20年のルネサンス研究、初期近代哲学研究、神学史研究の成果によって否定されるようになった。この論文は、カルヴァン以降の思想的発展を理解するにあたって、スコラ主義との関係に重点を置いている。


スコラ主義を定義するにあたっての重要なポイントはその方法論である。従来のプロテスタントの研究者は、スコラ学と合理主義を同一視するきらいがあったが、近年の研究は大学の学問としてのスコラ学とその方法論に着目している。プロテスタントのなかでも主にスイス、フランス、オランダ、イギリス、スコットランドにおいて発展した改革派教会も、大学との関係が密接にあった。ジュネーブに1559年に建てられたアカデミーや、オランダのライデンやユートレヒトに建てられた新興大学などで、スコラ学が重宝され広まっていったのはその方法論が当時の教育のスタンダードであったからであろう。同時に、スコラ学が改革派教会の中で広まった理由に、神学的に反駁しなくてはならない相手がイエズス会やルーテル派などの、スコラ学的方法論によってより洗練された神学を武器にしていたことにも関係がある。そして、改革派教会のなかでも、アルミニウス派やソッツィーニ派との内部抗争を通して、正統的な改革派主義を定義するのにスコラ学が非常に有効な手段になっていく。


具体的な例としてこの論文は、改革派スコラ神学の一つの最終形態とも呼べるジュネーブのフランシス・トゥレティーニ(1687年没)とジャン・カルヴァンの方法論と文脈の違いを幾つか述べている。カルヴァンが『キリスト教綱要』を神に関する知識と人間に関する知識から始めているのに対して、トゥレティーニは神学という学問を定義することから論述を始めている。またこのプロレゴーメナへの配慮のみならず、トゥレティーニの書物は、討論 (disputatio) の形をとっており、中世スコラ学の影響が顕著にみえる。この形式的な違いは、それぞれの書物の政治・社会的な相違点に起因している。カルヴァンの『綱要』は、フランスにおいてのプロテスタント教会の正統性を示すために書かれており、再洗礼派などのラディカルなセクトとの差別化や、また聖書解釈をもとにした神学を前面に打ち出している。他方、トゥレティーニの書物は、改革派信仰が確立した都市であるジュネーブの元老院に捧げられたものであり、正統と異端を明確にわける大学でのテキストとして自著を理解している。これらのことから、各々の宗教・社会的文脈が書物の方法論に大きな影響を与えていることを認めなくてはならない。


最後に著者は、形而上学と改革派神学の関係について言及している。16世紀初頭に起こった宗教改革は形而上学を大学のカリキュラムから一掃したと思われていた。確かに、ルターの『バビロニア捕囚』(1520) を参照するとアリストテレスの『倫理学』と『形而上学』への憎悪を垣間みることができるのは事実だ。またメランヒトンやペトルス・ラムス等のプロテスタント人文主義者たちも形而上学を遠ざけている。しかし、17世紀に入ると形而上学がルター派と改革派の両方の大学で熱狂的に復興される。これはプロテスタンティズムが、合理主義そして啓蒙主義に変化した証拠なのだろうか。形而上学の改革派系の大学への再導入は、他のセクトとの差異化に有益であったのが大きな理由のひとつである。ロベルト・ベラルミーノに代表されるようなイエズス会士との議論において、形而上学的素養抜きには、まともな思想的対峙は不可能であった。また、聖餐式でのキリストの実体に関してのルター派との議論や、アルミニウス主義との神の予定論に関しての議論においても、形而上学は必要不可欠となっていった。


社会的思想的文脈が変わり、スコラ学的方法論や形而上学の導入、アリストテレス主義の再評価が改革派系の高等教育機関でどれだけ行われても、改革派の思想家たちはあくまで改革派の信条に、また、聖書に忠実であろうとし続けた。啓蒙思想・合理主義との大きな違いは、聖書、教理、信仰がつねにかれらの思想の原理として存在していたことである。そして使われるアリストテレスなどの哲学はつねに折衷主義であり、改革派であるからといって特定の学派が使われたわけでもなかった。あるものはトマス・アクィナスを、あるものはドゥンス・スコトゥスを、またあるものはスアレスを権威として、あくまで改革派神学をより厳密に表現する手段として使っていたようである。


哲学と哲学史の方法論的問題と同種のものだが、初期近代の改革派神学を理解する上で必要なのは、その思想がおかれた様々な文脈である。改革派神学は中世後期の哲学的発展を継承しているし、当時の社会的政治的状況に大きく影響されている。また、その神学が書かれた文学的様式・ジャンルにも着目しなくてはならない。これらの思想史をやる上ではあたりまえの前提が、テキスト中心主義になりがちな哲学・神学研究に欠落していることは、残念ながら事実である。文脈の必要を理解する時、研究の対象としている思想がより鮮明に、同時に自己の理解を超えた異質なものとして浮かび上がってくるのではないだろうか。


The Cambridge Companion to John Calvin (Cambridge Companions to Religion)

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