ジャン・カルヴァンと改革派教会の伝統

Richard A. Muller, "John Calvin and later Calvinism" in The Cambridge Companion to Reformation Theology, David Bagchi and David C. Steinmetz, eds. (Cambridge: Cambridge University, 2004), 130-149


先週に引き続いて、16・17世紀の改革派教会の伝統について。16世紀の宗教改革において、「改革派」という名称は一般的にはローマカトリックに反対するプロテスタントの人々をさし、テクニカルにはスイスや南部ドイツから派生した信仰の伝統をさしていた。この伝統のなかでもカルヴァンの名は有名になり、「カルヴァン派」と「改革派」は同一視されるようになった。しかし、ここで思い出さなくてはならないのは、カルヴァンは宗教改革第二世代に属していたということである。


ルター、メランヒトン、ツヴィングリ、エコランパディウス、ブーツァーらがそれぞれの都市で進めた教会改革が実を結び、第二世代であるカルヴァン、Heinrich Bullinger (1504-75)、Wolfgang Musculus (1497-1563)、Peter Martyr Vermigli (1500-62)、Andreas Hyprius (1511-64) が地盤を固めていった。この第二世代のキャリアーが幕をとじるあたりに、各地でローマカトリックでもルター派でもない改革派の信仰を示した告白文が記されることになる。フランス信仰告白(1559)、スコットランド信仰告白(1560)、ベルギー信仰告白(1561)、ハイデルベルグ信仰問答(1563)、第二スイス信仰告白(1566)である。これらの告白文にしめされた信仰が、改革派の正統的なものと看做されていく。


16世紀後半にかけて改革派教会が確立していくにつれ、大学カリキュラムの編成にスコラ学の方法論が取り入れらていった。ハイデルベルグでは、スコラZacharias Ursinus (1534–83)、 Caspar Olevianus (1536–87)、 Petrus Boquinus (1582没)、 Jerome Zanchi (1516–90)が、スコラ学的な信仰問答の解釈、契約神学、カルヴァンの『キリスト教綱要』の注解などを発展させていく。ジュネーブでは、カルヴァンの継承者であるテオドール・ド・ベーズ (1519– 1605)が最先端のフランス文献学を使った聖書学を発展させ、Lambert Daneau (1530–95)、 Francis Junius (1545–1602)、Johann Polyander (1568–1646)、Jacobus Arminius (1559–1609)らの弟子を育成していく。ケンブリッジでは、William Whittingham (c. 1524–79) や Thomas Gilby (1585没) が聖書学やベーズを継承した予定論の神学を構築していく。


予定論に関する論争は、十六世紀末に既に始まっており、アルミニウスによってその完成形をみることとなった。ライデン大学の同僚であった、Francis Gomar (1563–1641) や Lucas Trelcatius (1573–1607) からの執拗な反駁にあい、アルミニウスの死後、人間の完全なる堕落や神の救いの絶対性を否定する彼の神学は非正統主義として退けられていくこととなった。これらの神学の方法論の形成に、スコラ学やペトルス・ラムス (1515–72) の発展させた「座の方法」(Locus method) は多大な影響を与えた。しかし、スコラ学も座の方法もあくまで方法論であり、改革派神学の内容は既に確立されている「正統主義」の枠組みの中でなされていった。


この教義的な狭隘さが、後世の改革派主義者たちを辟易させ、デカルト主義の力をかりて新しい思想を生み出そうとしていく。しかし17世紀中盤から後半にかけるまでは、あくまでも文献学の恩恵をうけた聖書学と信仰告白文にしめされた正統的な神学の伝統のなかで、改革派の思想が形成されていった、と著者は論を閉じる。


The Cambridge Companion to Reformation Theology (Cambridge Companions to Religion)

The Cambridge Companion to Reformation Theology (Cambridge Companions to Religion)