ヨハンネス・クラウベルクと心身問題

Jean-Christophe Bardout, “Johannes Clauberg,” in A Companion to the Early Modern Philosophy (Blackwell, 2002, 2008), 129-138. Translated by Steven Nadler.


2014年7月発売の『科学史研究』にスティーブン・ナドラーの『スピノザ--ある哲学者の人生』(有木宏二訳、人文書院、2012年)の書評が掲載された。それを記念してではないが、ナドラーが編集した『初期近代哲学への手引き』から一本紹介したい。


デカルト死後のデカルト主義は非常に興味深い。特にネーデルラント共和国での発展は、多様性に富んでおり、当時の知的レベルの高さが伺える。なかでも本ブログにすでに何度か登場しているヨハネス・クラウベルク(1622-1665)が有名である。


クラウベルクはアルノー(1612-1694)やマルブランシュ(1638-1715)といったデカルト主義者ほど有名ではないが、哲学史的にはとても重要な役割をになっている。例えばクラウベルクの貢献の一つに、近代的な意味での形而上学の原型を作ったことが挙げられる。中世における形而上学は、研究対象を最高存在である神なのか存在一般に決めかねていた。これがようやく十六世紀末になって、いわゆる「存在論」(ontologia)としての形而上学が整備された。この分野でのクラウベルクの貢献は、存在論を主題としたモノグラフを完成させたことだろう。


もう一つの貢献は、デカルトによって生み出された心身問題に一つの解決を与えたことだろう。デカルトが思惟(res cogitans)と延長(res extensa)という二つの実体を想起したのは有名である。しかし問題は、この二つの実体がどのように関係して、互いに影響を及ぼすのかということであった。デカルトによると、人間の脳のうちにある松果腺が小さくゆれることによって、精神に影響を与えたり影響を受けたりすることができるとされる。多くのデカルト主義者たちはこの答えに不満を抱いた。たとえばスピノザは、思惟と延長を絶対的に無限な実体の属性とすることでこの問題を解決しようとした。またゲーリンクスやマルブランシュは、神の働きのみが精神と肉体を媒介することができるとした。この立場は機会原因論(occasionalism)とよばれ、一般的にはクラウベルクがこの理論を打ち立てた最初の思想家とされている。


本論文はクラウベルクを機会原因論者とする立場を否定するものである。著者によると、クラウベルクは精神と肉体の独立性は論じたものの、神が直接その二つの実体を媒介するとは主張していないそうだ。ではクラウベルクの立場はどのようなものだったか。1664年に記された『人間における精神と肉体のつながり』(Corporis et animae in homine conjunctio)には、神によって肉体と精神は一致させられているとしか書かれていない。つまり後の機会原因論者たちのように、肉体や精神の変容が起こるたびに神が働くのではなく、神の力によって元来つながるはずのない肉体と精神がつなげられているという説明である。神の介在を最小限にとどめてはいるものの、具体的にどのように肉体と精神が関係しているかは全く明らかにされていない。


1650-60年代のネーデルラント共和国では、クラウベルクやヨハネス・デ・レイ、クリストフ・ウィティキウスといった改革派の神学とデカルト主義を折衷しようとした動きが影響力を誇っていた。スピノザの思想の多くはこのネーデルラント・デカルト主義を超克する試みだと私は思っている。しかし同時に心身問題をみると、精神と肉体のあいだにいっさいの相互関係も認めなかったクラウベルクの思想にスピノザの思想は影響を受けているとみることもできる。


過去記事
「クラウベルクとデカルト主義」

A Companion to Early Modern Philosophy (Blackwell Companions to Philosophy)

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スピノザ―ある哲学者の人生

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科学史研究2014年7月号(No.270)

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インテレクチュアル・ヒストリーという方法論

5月24, 25日に、酪農学園で行われた科学史学会年会のシンポジウム「科学史とインテレクチュアル・ヒストリーの挑戦」(代表柴田)で、インテレクチュアル・ヒストリーという方法論についてコメンテーターというかたちで発表させていただいた。その発表をもとに、インテレクチュアル・ヒストリーというものに考えを巡らしてみたい。


 そもそもインテレクチュアル・ヒストリーとはどのようなものなのだろう。テクストとそのコンテクストを扱えばインテレクチュアル・ヒストリーになるのだろうか。そうであるのなら方法論としての厳密性がないばかりか、新しさもない。方法論をより厳密に定義するために、以下ではインテレクチュアル・ヒストリーの発展史をごく手短に概観していく。


 ドナルド・キャリーが示したように、インテレクチュアル・ヒストリーの起源は古代ギリシャまでさかのぼることができる (1)。しかし時間の都合上、第二次世界大戦後から始めていく。この時期のインテレクチュアル・ヒストリーの発展を語るには、『存在の大いなる連鎖』で知られているアーサー・ラヴジョイと彼が編集に携わった雑誌Journal of the History of Ideas を挙げなければならないだろう。ラブジョイは観念・アイデアの自律性を謳っており、思想研究の焦点はコンテクストにではなく、時空を超えた観念の発展にあると理解している。アンソニー・グラフトンによると、ラブジョイは学際的な共同研究を推進していたので、哲学という狭い枠組みのなかのみで概念の発展を捉えることはなかったとされる (2)。しかし戦前のドイツの精神史(Geistesgeschichte)の伝統を引き継ぐレオ・シュピッツァーにみられるように、ラブジョイのテクストとコンテクストを軽視する方法論に当初から批判を呈していた学者もいた。


 インテレクチュアル・ヒストリーの発展を理解するうえでもう一つ重要な点がある。世界大戦後のアメリカには戦火を逃れた著名なヨーロッパの学者が多くいた。このことは、学問の垣根がヨーロッパに比べて低かったアメリカの大学で、亡命学者による学際的な研究を多く生み出すことに貢献した。なかでもフェリックス・ギルバートやヴェルナー・イェーガーやパノフスキーなどはこの有名な例である。


 60-70年代にはいり、限られた範囲のなかでの言語の意味作用を重視するウィトゲンシュタインの哲学が主流になるにつれ、ディアクロニック・通時的に観念の発展を研究するヒストリー・オブ・アイデアは隅に追いやられるようになった。同時に学際的な思想研究も軽んじられるようになる。より厳密な学問をもとめて科学史が観念史から独立した分野として確立されるのもこの頃のことである。


 しかしインテレクチュアル・ヒストリーは80年代に入り息を吹き返すことになる。概念やテクストに焦点を当てたこれまでの方法論ではなく、より歴史的に思想を理解するという動きがでてきた。初期近代の思想研究では、スキナー、ポコックのケンブリッジ学派やケンブリッジ・シリーズに代表される哲学研究などが例としてあげられる。


 90年代以降では、テクストの生成過程や受容される共同体をふまえた思想研究がでてくる。文芸共和国や出版社の役割がそれである。同時に思想の物質的な文脈、つまり活版印刷の発展や図書館といった思想形成の土台となったような物資的なものや場も、思想研究において重要視されるようになる。


 近年では思想家や観念に焦点を合わせるのではなく、コントラヴァーシャル・ヒストリーという手法、つまり議論に焦点をあわせる研究方法に注目が集まっている。ジョナサン・イスラエルやアン・トムソンなどの研究をこの手法の代表的なものとしてあげることができる。


 このようにインテレクチュアル・ヒストリーといっても歴史的な変遷があり、その定義に関して多くの議論がある。思想の理解にコンテクストを重視するというとき、その文脈とは何を指しているのだろうか。隣接する他のテクストなのか、議論なのか、共同体なのか、政治なのか、方法論的な厳密さが研究者に求められる。



(1) Donald R. Kelley, The Descent of Ideas: The History of Intellectual History (Aldershot: Ashgate, 2002).
(2) Anthony Grafton, “The History of Ideas: Precept and Practice, 1950–2000 and Beyond,” Journal of the History of Ideas, Jan. 2006, 7-8.

存在の大いなる連鎖 (ちくま学芸文庫)

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カルダーノのコスモス―ルネサンスの占星術師

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The Descent of Ideas: The History of Intellectual History

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“象徴(シンボル)形式”としての遠近法 (ちくま学芸文庫)

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  • 作者: エルヴィンパノフスキー,Erwin Panofsky,木田元,川戸れい子,上村清雄
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Bodies of Thought: Science, Religion, and the Soul in the Early Enlightenment

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Enlightenment Contested: Philosophy, Modernity, And the Emancipation of Man 1670-1752

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知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー

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ジョナサン・イスラエルによるアン・トムソン批判

Jonathan Israel, Review of Ann Thomson, Bodies of Thought. Science, Religion and the Soul in the Early Enlightenment (Oxford: Oxford University Press, 2008), 320 pp. in Intellectual History Review 19(1) 2009: 141-142.

Bodies of Thought: Science, Religion, and the Soul in the Early Enlightenment

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 「ラディカルな啓蒙思想」のテーゼで知られるジョナサン・イスラエルによるアン・トムソンの『思惟の身体: 初期啓蒙思想における科学、宗教、霊魂』(オックスフォード大学出版、2008年)の書評は短いながらも思想史の面白さと難しさを見せてくれる。トムソンがこれまでにあまり研究されてこなかった英国とフランスの医学に造詣の深かった思想家たちに光を当てたことは評価しつつも、イスラエルは二つの根本的な批判を与えている。一つは、トムソンが論じるようなディドロとエルヴェシウスに代表される唯物論の二つの系譜は存在しないというものである。確かに幾つかの重要な点においてディドロはエルヴェシウスを批判したが、物質論についてはそれほど異なったものではないと論じている。イスラエルの研究が示しているようにフランス革命直前のラディカルな思想家たちには共通する思想的な父祖がいた。スピノザである。スピノザ主義こそがラディカルな啓蒙主義の根幹にあったものであり、ディドロもエルヴェシウスの唯物論もスピノザ的に理解されるという。


 二つ目のより根源的な批判は、トムソンの研究によると唯物論と共和主義的な民主制には関連性はないとされるが、この二つの親和性こそがラディカルな啓蒙思想の中心にあるというものである。確かにホッブスやラ・メトリの唯物論はラディカルな政治思想を生み出さなかったが、スピノザ以降、ドルバックやコンドルセやペインらの思想家たちは明らかに唯物論と共和主義的民主制に親和性を見出していることから、この点をトムソンの研究は大きく見誤っているとイスラエルは批判する。


 イスラエルの評価は手厳しいものであり、実体を欠いているものではないが、イスラエルの研究もまさにここで強調された点において幾つかの手厳しい批判を受けていることも知られなくてはならない。つまりイスラエルは「ラディカルな啓蒙思想」というスピノザ主義の系譜の一義性を強調するあまり、思想の多様性と複雑さを還元してしまうというものである。特にイスラエルのEnlightenment Contested(Oxford, 2006)以降、テーゼ先行の傾向はますます強くなってきている。宗教的なものや医学的なものが啓蒙思想にもたらした影響を見なければ、イスラエルの重厚な研究もいささかホイッグ史観になってしまう恐れがあることから、啓蒙思想の多様性を理解するためにもトムソンの研究をふまえる必要は大いにある。


 インテレクチャル・ヒストリーの面白さはテーゼに還元できないおもしろさにあるのは事実である。とはいっても多様性を重視するあまり、解釈学的な要素、つまり歴史における思想の事象がいったいどのような意味をもつのかという問いがないがしろにされてしまう傾向もある。雑多な事象に目をひらきつつ、思想史の意味を見いだしていくことは容易なことではない。だからこそ膨大な文献を読み込みそれに果敢に挑戦し続ける研究者にも敬意を払わなくてはいけないのではないだろうか。


補遺:本日2014年3月14日(金)15時より慶應義塾大学(東京・三田)研究室棟1階B会議室で、トムソン教授の講演が行われます。演題はBodies of thoughtとなっており、このイスラエル教授によるレビューとも大きな関係をもつものになるのが予想されます。詳細はこちら


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『知のミクロコスモス』プレビュー: 小澤実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立--デンマークの事例」

小澤実「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立--デンマークの事例」ヒロ・ヒライ、小澤実編『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』中央公論新社、2014年、69-97頁。


声高々に「源流に戻れ ad fontes」と唱えたルネサンス人文主義が、古遺物に囲まれたイタリアの地で産声をあげたのは周知の事実である。そしてその知的運動が当時のヨーロッパのリングア・フランカであったラテン語という言語ネットワークを使い、パリや低地ドイツといった北ヨーロッパに広がり、そしてついには「人文主義の貴公子」と呼ばれたエラスムスや「全ドイツの教師」と謳われたメランヒトンを生み出したのも良く知られている。しかしその運動が遠くスカンディナヴィアの地で花開き、ラテン語のもつ普遍性とは対極に位置づけられる民族アイデンティティを確立したことはそれほど知られていない。そこに目をつけたのが『知のミクロコスモス』第三章にあたる小澤実の「ゴート・ルネサンスとルーン学の成立」である。


十四世紀末に確立されたデンマーク、ノルウェー、スウェーデン(そしてデンマークの支配下にあったアイスランド)によるカルマル連合は、十六世紀前半にスウェーデンが自らの王を擁立することで瓦解する。また、ほぼ同時期に北部ドイツで始まった宗教改革運動がスカンディナヴィアに広められローマの影響力を払拭することによって民族的なアイデンティティをより強靭なものにしていく。本論文は人文主義者たちがこれらの政治的・宗教的な改革に大きな影響を及ぼしたことをスウェーデンとデンマークの事例を多く引きながら教示してくれる。


人文主義と民族的アイデンティティの形成はかのマルティン・ルターを筆頭とするドイツ宗教改革においても顕著にみられたものだった。ルターは1520年に出版された『ドイツ国民の貴族に与う』を通してローマによる霊的な支配から独立することを訴えかける。他にもウルリヒ・フォン・フッテンらがタキタスの『ゲルマニカ』の解釈を通して「ドイツ的なもの」を人々の中に植え付けようと努めていた。同様の動きがスカンディナヴィアの地にも見られるのだった


本論文は、スウェーデンやデンマークにおいて民族の歴史や言語を学ぶことがどのような政治・精神的文脈でなされたかという問いに注目する。特にスウェーデンでヨハン三世の官職についていたブレウスによるルーン文字研究や、イェリング石碑の1586年の再発見を嚆矢とするデンマーク独自の領土認識や民族アイデンティティの確立の試みはとても興味深い。マールブルクやバーゼルで秀でた人文教育を受けたデンマークのオラウス・ウォルミウスの博物館の記述などは、5章の菊地原論文と絡めて読まれたいところである。


中世・初期近代ヨーロッパにおいて知の構築はただ衒学的なものにとどまるのではなく、当時の重要な政治的な役割を果たしていた。インテレクチュアル・ヒストリーとは、その絡み合った政治的、民族的、思想的な塊を少しほぐしてやり、現出してくるものに目を見張る行為に過ぎない。その醍醐味を本論文はスカンディナヴィアというヨーロッパにおける辺境・リミナルなものを通して味合わせてくれるのではないだろうか。


補遺:ちなみに5月31日、6月1日の西洋史学会で、小澤先生と共にポスターセッション「国家・論争・知識人--十七世紀デンマーク王国とネーデルラント共和国におけるテクスト生成に関する比較考察--」を行う予定です。詳細はこちら


知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー

知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー

『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』発売!

3月10日に中央公論新社から『知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』という本を出しました!内容は以下の通りです。本日確認しましたが大手の書店には既に並んでおります!皆さん、どうぞ一度手に取ってみてください!



I. 学問の伝統と革新

1. 語的一致と葛藤する説教理論家 中世後期の説教における聖書の引用
赤江雄一 (慶應義塾大学)

2. 記憶術と叡智の家 ルネサンスの黄昏における伝統の変容
桑木野幸司 (大阪大学)

3. ゴート・ルネサンスとルーン学の誕生 デンマークの場合
小澤実 (立教大学)

II. 神と自然、そして怪物

4. キリストのプロフィール肖像 構築される「正真性」と「古代性」
水野千依 (京都造形芸術大学)

5. ルネサンスにおける架空種族と怪物 ハルトマン・シェーデルの『年代記』から
菊地原洋平 (九州工業大学・非常勤)

6. キリストの血と肉をめぐる表象の位相 ラブレーからド・ベーズまでの文学と神学の交錯点
平野隆文 (立教大学)

7. スキャンダラスな神の概念 スピノザ哲学とネーデルラントの神学者たち
加藤喜之 (東京基督教大学)

III. 生命と物質

8. アリストテレスを救え 16世紀のスコラ学とスカリゲルの改革
坂本邦暢 (日本学術振興会)

9. 霊魂はどこからくるのか? 西欧ルネサンス期における医学論争
ヒロ・ヒライ (ナイメーヘン大学)

10. フランシス・ベイコンの初期手稿にみる生と死の概念
柴田和宏 (東京大学・大学院)

IV. 西洋と日本 キリシタンの世紀

11. 「アニマ」(霊魂)論の日本到着 キリシタン時代という触媒のなかへ
折井善果 (慶応義塾大学)

12. イエズス会とキリシタンにおける天国(パライソ)の場所
平岡隆二 (熊本県立大学)

索引


知のミクロコスモス: 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー

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フランシスコ・スアレスは中世の思想家か近代の思想家か?

  • Victor Sales, “Francisco Suárez: End of the Scholastic ἐπιστήμη?” in Francisco Suárez and His Legacy: The Impact of Suárezian Metaphysics and Epistemology on Modern Philosophy, ed. by Marco Sgarbi, ed. (Milano: Vita e Pensiero, 2010), 9-28.


 中世と近代の狭間とも呼べる初期近代(1500-1650)という時代を扱う思想史においては、様々な思想家や概念が近代の端緒といわれてきた。なかでも常に多くの思想史家の注目を集めてきた思想家に、フランシスコ・スアレス(1548-1617)がいる。ハイデガー、マッキンタイヤー、マリオン、ローズマンらは、スアレスに近代思想への移行をみた。近年では、ローズマンがUnderstanding Scholastic Thought with Foucault (1999)という研究書で、スアレスの思想の近代性を主張している。


 それに対して、本論文の著者であるヴィクター・サラスはスアレスの「著述方法」(quaesto)、「一義性」(univocas)、そして「形相的概念」(conceptus formalis)という三つの重要な主題に注目することによって、スアレスの非近代性を主張する。


 ローズマンによると、 スアレスは、方法論としてトマスの著作に見られるような質問とそれに対する解答をもって議論を進めていくquaesto方式を放棄したとされている。しかしサラスは、quaesto方式を放棄したのは、スアレスが初めてではないと論じる。15世紀以降のサラマンカでは、relectioという一つのトピックについて自由に著述する方式の伝統があった。また、『形而上学的討論』(Disputationes metaphysicae, 1597)の内容自体は、quaesto方式が擁する弁証法を用いているというのが、サラスの理解である。


 では、ドゥルーズなどにも指摘される存在の一義性という概念においてはどうだろか。17世紀後半のスコトゥス派Bartolomeo Mastriや、1960年代に出版されたWalter Hoeresの研究によると、スアレスは存在の類比性ではなく一義性を主張しているとされる。しかしサラスは、スアレスの存在理解の根幹には、いっさいの存在が神という至上の存在に依存するという類推の構造があり、単純に一義性を保持しているとはいい難い、と論じている。


 ただ、中世スコラ学との大きな違いもスアレスの思想にはあるというのがサラスの見解である。特に形而上学を構築する上で、スアレスは中世まで重宝されてきた、ものじたいを表す「形象的概念」ではなく、人間の精神内で思惟されるものとしての形相的概念を重視している。このことによって、思惟(cogito)から存在(sum)を引き出すデカルトにより近づいたといえるのではないだろうか。また、スアレスの影響をうけたプロテスタント・スコラ学者のTimplerやClaubergも、思惟されるものを存在するものとして、より近代的な思想を展開していったとサラスは論を閉じる。


Francisco Suárez and his legacy. The impact of suárezian metaphysics and epistemology on modern philosophy

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Understanding Scholastic Thought With Foucault (The New Middle Ages)

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Three Rival Versions of Moral Enquiry: Encyclopaedia, Genealogy, and Tradition

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Suarez: Between Scholasticism and Modernity (Marquette Studies in Philosophy)

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深井智朗監修『ティリッヒとフランクフルト学派—亡命・神学・政治』

深井智朗監修『ティリッヒとフランクフルト学派—亡命・神学・政治』法政大学出版局、2014年2月、p.293+v+(33)、ISBN 978-4588010057、定価3,500円+税。


 思想を理解するには、思想家の文章(テクスト)を読むだけでは十分ではなく、文脈(コンテクスト)を理解しなければならない。これは使い古された台拭きのように繰り返しいわれてきた文句である。しかし、実際に思想の文脈を理解しようとすると、多くの困難に出会うのも事実である。困難の一つに、コンテクストの多様性の問題がある。その思想家の時代背景、影響を受けた著作、記した書簡、社会構成、すべて文脈である。では、どの文脈をみれば思想を深く明確に理解することができるのだろうか。その手がかりを本書は示してくれる。


 監修者の深井智朗氏がドイツに留学中、遭遇した神学研究の方法論には、対立する二つのものがあった。ひとつは、氏の指導教官であったグンター・ヴェンツ教授の、テクスト中心主義。もうひとつが、F.W.グラーフ教授の「神学史」(Theologiegeschichte)とよばれる同時代の社会、政治、経済といったコンテクストのなかでテクストを読み解いていくものである。双方に大きく影響を受けつつも、氏は「神学史」の学術的な有益性に開眼されていく。近年、この方法論を用いて、日本では特にテクスト中心主義的に読まれてきた19世紀後半から20世紀前半の神学者たちを、深井氏は精力的に読み直している。2009年に教文館から出版された『十九世紀のドイツ・プロテスタンティズム―ヴィルヘルム帝政期における神学の社会的機能についての研究』や、2012年に岩波書店から出版された『ヴァイマールの聖なる政治的精神――ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』は、その成果の一部である。


 本書は、その「神学史」の枠組みの中で、バルトやブルトマンとともに20世紀代表する神学者のひとりであるパウル・ティリッヒ(1886-1965)と、第二次大戦後の思想に大きな影響を与えたフランクフルト学派の関係に光をあてたものである。両者の関係は、フランクフルト学派の遍歴を描き出したマーティン・ジェイの『弁証法的想像力—フランクフルト学派と社会研究所の歴史 1923-1950』(1975年、原書は1973年)でも触れられているが、日独の研究者が両者の関係にのみ焦点をあて、未公開資料の訳出をも含む本書は、神学・哲学研究者のみならず戦中・戦後の精神的な状況に興味を持つ人すべての必読書となるであろう。


 全体の内容として、ホルクハイマー、アドルノ、フロム、マルクーゼというフランクフルト学派を代表する思想家とティリッヒの関係に、それぞれ一章さかれており、監修者による45ページの序文とともに充実した内容となっている。ホルクハイマーとアドルノの章は、ミュンヘン大学で神学と宗教教育学を教えたE. シュトルムが、グラーフらが編集者をつとめる『近代神学史』に載せた研究報告を訳出したものであり、本邦初公開の資料が含まれている。フロムの章は聖学院で心理学を教える竹渕香織と深井が担当しており、フロムとティリッヒの書簡を含む。また、この章はドイツ語に訳され出版されるという。最後のマルクーゼの章は、クリスファーセンとグラーフの研究が訳されたものである。


 個人的に興味深かったのは、アドルノとティリッヒの関係である。アドルノの教授資格論文の指導教官であったティリッヒは、アドルノの才能を早くから見いだしており、最初は助手としてそして私講師として、アドルノをフランクフルト大学哲学部に採用した。晦渋な表現と難解な概念で構築されているアドルノの文章をティリッヒが正確に理解していたかは不明だが、二人の対話は双方の思想に大きな影響を与えたのではないだろうか。最初にフランクフルト、亡命後はニューヨークで開かれていた研究会/サロンでは、学問をやるものならだれでもその必要性を認識しつつも震え上がってしまうような忌憚ない意見と辛辣な批判が飛び交い、概念の不明瞭さや論の稚拙さが指摘されていたらしい。その一部がティリッヒの「宗教社会主義における人間と社会」(1943年)という論文と、それに対するアドルノの辛辣という表現が優しすぎるほどの応答(1944年2月)に垣間みることができる。しかしそれでも、二人は憎しみあうことなく親密な交流を続けていたというから不思議である。


 論集である性質から、重複する内容(特に伝記的記述の)があるものの、本書は「神学史」という方法論を使うことによって、思想は他者の思想とのぶつかりあいのなかに存在するものであるという事実を深く知らしめてくれる。このような研究が多く世に問われることによって、神学という思想の厚みを重層的に感じ、一人でも多くその面白さを味わうことができればと願うばかりである。

 最後になるが、翻訳に携わった小柳敦史と宮崎直美は、グラーフのもとで「神学史」の方法論を学んだ新進気鋭の研究者である。彼らのこれからの研究にも期待したい。


ティリッヒとフランクフルト学派: 亡命・神学・政治 (叢書・ウニベルシタス)

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十九世紀のドイツ・プロテスタンティズム―ヴィルヘルム帝政期における神学の社会的機能についての研究

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