「姉崎正治と近代の「宗教問題」--姉崎の宗教理論とそのコンテクスト--」

深澤英隆、「姉崎正治と近代の「宗教問題」--姉崎の宗教理論とそのコンテクスト--」『啓蒙と霊性:近代宗教言説の生成と変容』、岩波書店、2006年、75-121頁


これは、東大のみならず日本の宗教学の基礎を築いたとされる姉崎正治(1873-1949)の宗教思想を、その文脈において包括的にとらえた優れた論文である。問題意識として、著者の『啓蒙と霊性』の中心にある、いかにして近代における「宗教」の概念は構築されたかという問いがあり、姉崎はその日本的展開の重要な例として扱われている。


19世紀西欧において成立した「宗教」の概念は、特殊な信仰体系を包摂する一般概念であり、おもにヨーロッパの社会の中でキリスト教が非自明化してきたことに起因する、と著者は論じる。


姉崎は、「宗教」の概念をつねに「宗教の問題」(Problem der Religion)、つまり個人の信仰や理解にとどまることなく社会や国家との関係において考えている。姉崎の学術的文脈は、19世紀後半にドイツで成立した狭義の「宗教学」である。これは、著者が説明するように、「現実に即して宗教の共通性格をとらえるという方法原理」をとることによって、宗教概念が疎外され、実体化される。狭義の宗教学は、その実体化された宗教概念を対象として検証する「科学的」な学問として初期姉崎思想に多大な影響をあたえた。


姉崎の思想は、人類・諸宗教に普遍的な「心霊」的なものがあり、それは人類学・心理学的に理論づけられるというものだった。姉崎は普遍的な「心霊」を、ショーペンハウアー的な「自家保存の意欲」の表現として理解している。また宗教研究を実証的研究におわらせず、規範的な「きたるべき宗教」の構想を体系に組み込んでいる。


ドイツ・インド留学以前の姉崎の規範的宗教概念は、あくまで科学主義・脱神話化論という近代の枠組みの中で理解されていたが、ヨーロッパ留学を通して近代文明のもちうる生の抑圧と社会的闘争を体験することによって、近代合理性批判の要素を色濃く持つものになっていった。


このような思想的形成を経て、姉崎は日清・日露戦争後の日本の特殊な状況下で、近代化と近代批判を同時におこなっていった。つまり一方で、侵略的拡張主義をとなえる近代国家を批判し、また他方で、個を埋没させる儒教的因習を批判した。これを著者は、「政治問題への宗教学的、ないし宗教的介入への衝迫」(108頁)とよぶ。


論文後半では特に国家と宗教の関係についての姉崎の言説に重点が置かれている。たとえば、教育勅語を国家主義的、すなわち近代の国民国家形成のために利用していこうとする流れに対して、姉崎は勅語や皇室が具現化する普遍的な宗教性に注目し、個人と人格形成のため再解釈する (111-112頁)。このようにして、宗教を教育から排除しようとする動きから「宗教的いのち」をまもり、あくまでも人本主義にたとうとする姉崎を描き出す。


また、姉崎の新宗教に対する考え方の変遷についても言及している。初期の著作では黒住教や天理教などの新宗教に対して否定的であったが、後期の姉崎思想では新宗教が持つ社会変動のじきに現れてくる民衆的な感化力を認め評価するようになっている。


このように本論文は姉崎正治の宗教思想を19-20世紀にかけての社会・政治・学術的な状況に照らし合わせて分析していくとても示唆にとんだものである。ただ、多少記されてはいるが、具体的に当時の仏教やキリスト教との関わりについて言及されていれば、当時の宗教者たちによる姉崎の受容と批判が明らかになり、姉崎の思想の理解に立体性が増すのではないかと思う。


啓蒙と霊性―近代宗教言説の生成と変容

啓蒙と霊性―近代宗教言説の生成と変容