クラウベルクとデカルト主義

Theo Verbeek, "Johannes Clauberg: A Bio-Bibliographical Sketch" in Johannes Clauberg (1622-1665) and Cartesian Philosophy in the Seventeenth Century, ed. Theor Verbeek (Dordrecht: Kluwer Academic Publishers, 1999), 181-199.




1622年にゾーリンゲンの比較的裕福な家に、ヨハネス・クラウベルクは生まれる。ゾーリンゲンのギムナジウムで学んだ後、コメニウス主義が盛んであったブレーメンに移り学びを続ける。ブレーメンでは、『形而上学』(1613)で名の知れた Johannes Combach (1585-1651) や、コメニウスやベーコンを吸収した Gerard de Neufville (1590-1648) に師事する。1644年には、フローニンゲン大学に移ることになるのだが、この地で初めて世をにぎわせていたデカルト主義との邂逅にいたる。当時フローニンゲン大学の学長であった Martinus Schoock (1614-69) は、デカルトの批判者であった神学的保守派のヴォエティウスの愛弟子であり、『ルネ・デカルトの新哲学の驚くべき方法』(Admiranda methodus novae philosophiae Renati De Cartes) を1643年に出版し、デカルト哲学への攻撃の手を強めていた。クラウベルクのブレーメン時代の友人であった Tobias Andreae (1604-76) は、デカルトの友人であり、おそらく彼を通して『省察』や『哲学原理』を読んだものと思われる。しかし、フローニンゲン時代(1644年4月から1646年6月) に行われた討論や、1647年に出版された『オントソフィア』からも、これといって顕著なデカルト主義を見出すことはできない。


フローニンゲンを離れたクラウベルクは、ソミュール、パリ、イングランドを訪問した後、アンドレアイの紹介でライデンで学んでいた Johannes de Raey と知遇を得る。このデ・レイとの議論を通して、デカルト主義者としてのクラウベルクが形成されていくこととなった。ヘルボルンでのアカデミックポストを1649年の9月に始めるまで、ライデンに滞在しデカルトにもその名が知られたようである。カルヴァン派のヘルボルン・アカデミーでの時間は、保守派との論争が絶えず、また、実践に重きを置くラムス主義の影響が強かったヘルボルンでは思ったようにデカルト主義をベースにした思弁哲学に時間をさくことが出来ず、満足のいくようなものではなかった。1651年11月に、当局がアリストテレス・ラムス哲学以外の哲学を禁止したことから、12月には、クリストフ・ウィティキウスと共にデュイスブルクのギムナジウムに籍を移すことになった。この時期の論争と保守派神学者のレヴィウスへ返答を出版したものが、『デカルト主義の擁護』(Defensio cartesiana, 1652)であり、この本のオランダ語訳がスピノザの図書から見つかっている。


啓蒙的なブランデンブルク領主の統治下にあったデュイスブルクでは、公私ともに充実した生活を送ることができた。1652年9月には、結婚し、一男五女をもうけることになる。1655年には、ギムナジウムが正式に大学となり、同僚であるウィティキウスや Hundius と共に有能な弟子を世に送り出していった。また、スピノザが所有していたもう一冊のクラウベルクの著作である『新旧論理学』(Logica vetus nova) が1654年に出版された。この本の目的は、デカルト主義の論理学を構築することであり、『ポール・ロワイヤル論理学』(1662年) が出版されるまでデカルト派の論理学として重宝されることとなった。他の著作も、デカルトの自然学と形而上学を明確に解説し、同時にデカルト主義とアリストテレス主義とのある一定の調和を示すことにより、デカルトの哲学を広めるのに成功したとされている。特にドイツでは、デカルトの著作集が出版される1692年まで、クラウベルクの名は、デカルト以上にデカルト主義者として知れ渡っていった。


クラウベルクは、42歳という若さにして、1665年1月に息を引き取ることになる。死後30年が経ち、アムステルダムの哲学教授によってようやく全集が出版されることになった。1300ページ以上の紙面に敷き詰められた細かい文字が全てが、10年の間に書き出されたとは驚くべき事実である。


Opera omnia philosophica vol.1 (1691)
Opera omnia philosophica vol.2 (1691)


Johannes Clauberg (1622-1665) (International Archives of the History of Ideas   Archives internationales d'histoire des idées)

Johannes Clauberg (1622-1665) (International Archives of the History of Ideas Archives internationales d'histoire des idées)