J. Kameron Carter

今夜、キング牧師を記念した公開講義で、デューク大学のJ. Kameron Carter博士を招いて、“An Unlikely Convergence: W.E.B. Du Bois, Karl Barth, and the Problem of the Imperial God-Man” というレクチャーを聴いた。 Carter博士は、Race: A Theological Account (Oxford University Press, 2008)という本を書き、注目を集めている新進気鋭の神学者である。

ポスト・コロニアル批評の方法論を神学に適応し、人種差別と帝国主義を暴いていくカーターの姿は、1919年のロマ書講解のバルトと1920年のDarkwaterのデュボイスを思わせる。講義の前半は、ポスコロ方法論をつかったイデオロギー批判に長時間が割かれていた。その批判自体も左派の文献を多少読んでいれば、特に目新しいものではなかったが、アメリカの神学土壌が必要としているものではある。

政治思想と神学を切り離さずにとらえているカーターのバルト像は、 G. HunsingerやB. McCormackという著名なバルト学者のものと比べても、全く遜色がなく、いや、イデオロギー批判をとらえきれていない他のバルト学者よりも優れたものと言ってもよいであろう。

しかし、神学批判としては優れたものではあっても、建設的な神学議論としては、ものたりないものであった。どのようにして、神を知るのか。神とはなにか、という問いには、いっさい答えていなかったからである。啓蒙思想の洗礼を受け、資本主義の洗礼を受け、産業革命の洗礼を受け、帝国主義の洗礼を受けた神学を壊すことには、成功しているようだが、その後に続くものが見えてこない。現代に神の言葉を語ることはできるのだろうか。少なくとも今のカーターにその答えはないようだ。

Race: A Theological Account

Race: A Theological Account