転換:1930年代のレオ・シュトラウス

1921年にエルンスト・カッシーラーの下で博士論文を書き、さらにフッサール、ハイデガーと共に学んだレオ・シュトラウス(1899-1973)は、1930年代に思想的な転換期を迎える。ニーチェに心酔し、シオニズム運動に傾倒していたシュトラウス。その彼がどのようにして後に知られるような、古典的な合理性の復興者となっていったのか?その謎にマイヤー、パンゲル、ヤフィーといった政治哲学者、シュトラウス研究者たちが迫る。さらに後半には、1929-1939年にシュトラウスによって記された短い論考も翻訳・掲載されており、実証的に思想の転換を追うことが出来るようになっている。

ちなみに編者のヤフィーとルーダーマンは大学時代の恩師である。彼等の講義や演習を通して、思索の方法論やテクストへの向き合い方を教えられた。スピノザの思想との取り組みもその時始まった。

内容は以下の通り。

Introduction; Martin D. Yaffe and Richard S. Ruderman
1. How Strauss Became Strauss; Heinrich Meier
2. Spinoza's Critique of Religion: Reading Too Literally and Not Reading Literally Enough; Steven Frank
3. The Light Shed on the Crucial Development of Strauss's Thought by his Correspondence with Gerhard Krüger; Thomas L. Pangle
4. Strauss on Hermann Cohen's 'Idealizing' Appropriation of Maimonides as a Platonist; Martin D. Yaffe
5. Strauss on the Religious and Intellectual Situation of the Present; Timothy W. Burns
6. Carl Schmitt and Strauss's Return to Pre-Modern Philosophy; Nasser Behnegar
7. Strauss, Hobbes, and the Origins of Natural Science; Timothy W. Burns
8. Strauss on Farabi, Maimonides, et al. in the 1930s; Joshua Parens
9. The Problem of the Enlightenment: Strauss, Jacobi, and the Pantheism Controversy; David Janssens
10. 'Through the Keyhole': Strauss's Rediscovery of Classical Political Philosophy in Xenophon's Constitution of the Lacedaemonians; Richard S. Ruderman
11. Strauss and Schleiermacher on How to Read Plato: An Introduction to 'Exoteric Teaching'; Hannes Kerber
Appendix: Seven Writings by Leo Strauss
A. 'Conspectivism' (1929); Translated by Anna Schmidt and Martin D. Yaffe
B. 'Religious Situation of the Present' (1930); Translated by Anna Schmidt and Martin D. Yaffe
C. 'The Intellectual Situation of the Present' (1932); Translated by Anna Schmidt and Martin D. Yaffe
D. 'A Lost Writing of Farâbî's' (1936); Translated by Gabriel Bartlett and Martin D. Yaffe
E. 'On Abravanel's Critique of Monarchy' (1937); Translated by Martin D. Yaffe
F. 'Exoteric Teaching' (1939); Edited by Hannes Kerber
G. Lecture Notes for 'Persecution and the Art of Writing' (1939); Edited by Hannes Kerber

Leo Strauss on Moses Mendelssohn

Leo Strauss on Moses Mendelssohn

Theologico-Political Treatise (The Focus Philosophical Library)

Theologico-Political Treatise (The Focus Philosophical Library)

Shylock and the Jewish Question (Johns Hopkins Jewish Studies)

Shylock and the Jewish Question (Johns Hopkins Jewish Studies)

ロジャー・アリュー『デカルトと初期デカルト主義者』

Roger Ariew, Descartes and the First Cartesians (Oxford: Oxford University Press, 2014). 272 pages | 234x156mm 978-0-19-956351-7 | Hardback | November 2014 (estimated)


デカルトとスコラ主義の研究で有名な南フロリダ大学のロジャー・アリュー先生が、十一月にオックスフォード大学出版局から『デカルトと初期デカルト主義者』という本を出すようです。内容は次の通りです。

Acknowledgments
Preface
I: Descartes and the Teaching of Philosophy in Seventeenth Century France
1: Seventeenth Century Scholastic Philosophy: Thomism and Scotism
2: Descartes and the Jesuits
3: Descartes and the Oratorians
II: Summa Philosophiae Quadripartita or the Construction of the Scholastic Textbook
1: Logic in Late Scholastic Textbooks
2: Ethics in Late Scholastic Textbooks
3: Some Elements of Physics in Late Scholastic Textbooks
4: Metaphysics in Late Scholastic Textbooks
III: The Tree of Philosophy: Descartes on Logic, Metaphysics, Physics, and Ethics
1: Descartes' Logic
2: Descartes' Metaphysics
3: Some Elements of Descartes' Physics
4: Descartes' Two Ethics
IV: Système Général de la Philosophie or the Construction of the Cartesian Textbook
1: Cartesian Logic
2: Cartesian Metaphysics and Natural Theology
3: Some Elements of Cartesian Physics
4: The Cartesians and Ethics
V: A Brief Conclusion
Bibliography
Index

書簡からみるネーデルラント・デカルト主義者たちの関係

Andrea Strazzoni, "On Three Unpublished Letters of Johannes de Raey to Johannes Clauberg" Noctua I.1 (2014): 66-103.


ルネ・デカルトは、ヨハンネス・デ・レイ(1620-1702)を自身の優れた理解者として認めていた。フェルビークのユトレヒトとライデンでのデカルトの哲学をめぐる騒動に関する研究が明らかにしているように、デカルトの哲学に惹かれた若く有能な教授や学者はいたが、彼らの多くが、レギウスの例に顕著にあらわれているように、必ずしも師の意思をくんでいる訳ではなかった。それゆえデ・レイの貢献をデカルト自ら認めていることは特筆に値する。


ヨハンネス・クラウベルクがデ・レイにライデンで直接指導を受けたのは、1648年の終わりから、1649年の夏までの短い期間であった。それ以前にクラウベルクは、フローニンゲンでトビアス・アンドレアイによってデカルト主義の薫陶を受けていたものの、当時出版された討論集や版を重ねることになる『オントソフィア』からは、デカルト主義の影響があまりみられない。ということはつまり、学期にすると半期のこの短い時間の中で、デ・レイの影響の下、クラウベルクはデカルトの物理学と形而上学を習得していたことがわかる。


本論文は、1651, 52, 61年にデ・レイからクラウベルクへ出された3つの手書きの書簡の分析を通して、当時最も影響力のあった二人のデカルト主義者の関係を明らかにするものである。1647年の2月から3月にかけて、ライデンの神学者ヤコブ・レヴィウスによって始められたデカルト哲学への容赦のない攻撃は、その年の暮れに市参事会によるデカルト哲学の禁止として実を結んだ。禁令のあとも、レヴィウス、アダム・スチュアート、キリアクゥス・レントゥルスによってデカルト主義は批判され続けることとなった。


クラウベルクの『デカルト主義の擁護』が出版されるのが1652年ということもあり、本論文におさめられた書簡は、デ・レイがライデンでは公の縛りがありできなかった反デカルト主義者たちへの批判を、クラウベルクの書物に託そうとする様子を明らかにしてくれる。アリストテレスの『問題集』(Problemata)を用いてデカルトの哲学を講義した『自然哲学の鍵』(Clavis philosophiae naturalis, seu introductio ad contemplationem naturae Aristotelico-Cartesiana)を、デ・レイが出版するのは2年後の1654年のことである。クラウベルクの『デカルト主義の擁護』の出版の後に出された二つ目の書簡からは、レントゥルスによってデ・レイがクラウベルクに宛てた手紙が傍受されていたことが明らかになる。三つ目のデ・レイの手紙は、興味深いことに日本生まれのペトルゥス・ハルツィンギウス(Hartzingius)を、クラウベルクが学長をつとめていたデュイスブルク大学の医学と数学の教員に推薦したものである。


これらの書簡に浮かび上がるデ・レイとクラウベルクの親密な関係は、両者の著作からはみることができない。それゆえ、明らかに一方の議論に影響を受けていると思われる箇所でも、明確な著作への言及がなされないことが研究者たちをこれまで悩ませてきた。しかし本論文の書簡が明らかにするように、二人は反デカルト主義者への共同戦線を張っていたことから、行政が関与している状況の中、関係を明らかにすることに慎重になっていたと考えるのが妥当であったと著者は主張する。また、3つの書簡と二人の著作の分析を通して、二人の卓越したネーデルラント・デカルト主義者の関係は、子弟というよりも共同戦線をはる同志とみることができる。このように本論文は、著作のみからは知ることのできない当時の知的文脈を、書簡を通して存分に味わわせてくれる優れた研究である。


Descartes and the Dutch: Early Reactions to Cartesian Philosophy, 1637-1650 (Journal of the History of Philosphy)

Descartes and the Dutch: Early Reactions to Cartesian Philosophy, 1637-1650 (Journal of the History of Philosphy)

Methodus Cartesiana Et Ontologie (Bibliotheque D'histoire De La Philosophie)

Methodus Cartesiana Et Ontologie (Bibliotheque D'histoire De La Philosophie)

ネーデルラント・デカルト主義におけるプラトン哲学の影響

Han van Ruler, “Substituting Aristotle: Platonic Themes in Dutch Cartesianism” in Platonism at the Origins of Modernity: Studies on Platonism and Early Modern Philosophy, eds. Douglas Hedley and Sarah Hutton (Dordtrecht: Springer, 2008), 159-175.


中世盛期から初期近代にかけて、西洋の大学の中で特権的な地位を占めてきたアリストテレス哲学が、デカルト主義の登場によって零落していったことは広く知られている。しかしデカルト哲学の教授が禁止されていた1650-60年代のネーデルラントの大学において、デカルトの哲学がプラトン主義を身にまとっていたことはそれほど知られていない。本論考は、プラトン哲学に影響をうけたフローレンス・スカイル(1619-1669)とアーノルド・ゲーリンクス(1624-1669)のデカルト主義を明らかにしてくものである。


スカイルはそのキャリアをアリストテレス主義者として始めているが、20年の歳月を経てデカルト哲学の擁護者として60年代に活躍することになる。とくに1668年に出版されたデカルトの『人間について』(De homine)の編集をつとめている。その序文の中でスカイルは、人間の肉体の働きを精神から完全に分離させ、外的な刺激への神経作用として説明している。また1667年2月におこなったスピーチのなかでは、デカルトの『省察』の中心的な議論を、デカルトの名をださずアウグスティヌスを引用のみで展開している。そしてレヴィウスなどの反デカルト主義者たちへは、ヒポクラテス、キケロ、ガレノス、カルヴァンからの引用を使って、デカルトの哲学の証明を試みている。


他方ルーヴァンからライデン大学へ移ってきたゲーリンクスは、デカルト主義擁護の立場から古典的な哲学を否定したが、プラトンにだけは特権的な位置を与えた。また、存在と生成を考えるにあたっては、肉体を無限に延長するものとしてとらえ、その様態が時空に表現されるとした。認識論に関しては、「知恵」(sapientia)という概念をつかい、知の階層をプラトンにならって展開したことも知られている。本論文の著者のファン・ルーラーは、このゲーリンクスの認識論にスピノザの直観知の概念への大きな影響をみている。


スピノザ自身はプラトンを引用することはなかったが、ファン・ルーラーのいうように、ライデンのデカルト主義者たちを通して、プラトン主義の影響を受けていたのだろうか。それともスピノザの哲学は、プラトン主義の影響をうけたデカルト主義を超克するものだったのだろうか。いずれにせよ、スピノザ哲学を理解する重要なカギを、ネーデルラント・デカルト主義が握っていることは確かである。



ヨハンネス・クラウベルクと心身問題

Jean-Christophe Bardout, “Johannes Clauberg,” in A Companion to the Early Modern Philosophy (Blackwell, 2002, 2008), 129-138. Translated by Steven Nadler.


2014年7月発売の『科学史研究』にスティーブン・ナドラーの『スピノザ--ある哲学者の人生』(有木宏二訳、人文書院、2012年)の書評が掲載された。それを記念してではないが、ナドラーが編集した『初期近代哲学への手引き』から一本紹介したい。


デカルト死後のデカルト主義は非常に興味深い。特にネーデルラント共和国での発展は、多様性に富んでおり、当時の知的レベルの高さが伺える。なかでも本ブログにすでに何度か登場しているヨハネス・クラウベルク(1622-1665)が有名である。


クラウベルクはアルノー(1612-1694)やマルブランシュ(1638-1715)といったデカルト主義者ほど有名ではないが、哲学史的にはとても重要な役割をになっている。例えばクラウベルクの貢献の一つに、近代的な意味での形而上学の原型を作ったことが挙げられる。中世における形而上学は、研究対象を最高存在である神なのか存在一般に決めかねていた。これがようやく十六世紀末になって、いわゆる「存在論」(ontologia)としての形而上学が整備された。この分野でのクラウベルクの貢献は、存在論を主題としたモノグラフを完成させたことだろう。


もう一つの貢献は、デカルトによって生み出された心身問題に一つの解決を与えたことだろう。デカルトが思惟(res cogitans)と延長(res extensa)という二つの実体を想起したのは有名である。しかし問題は、この二つの実体がどのように関係して、互いに影響を及ぼすのかということであった。デカルトによると、人間の脳のうちにある松果腺が小さくゆれることによって、精神に影響を与えたり影響を受けたりすることができるとされる。多くのデカルト主義者たちはこの答えに不満を抱いた。たとえばスピノザは、思惟と延長を絶対的に無限な実体の属性とすることでこの問題を解決しようとした。またゲーリンクスやマルブランシュは、神の働きのみが精神と肉体を媒介することができるとした。この立場は機会原因論(occasionalism)とよばれ、一般的にはクラウベルクがこの理論を打ち立てた最初の思想家とされている。


本論文はクラウベルクを機会原因論者とする立場を否定するものである。著者によると、クラウベルクは精神と肉体の独立性は論じたものの、神が直接その二つの実体を媒介するとは主張していないそうだ。ではクラウベルクの立場はどのようなものだったか。1664年に記された『人間における精神と肉体のつながり』(Corporis et animae in homine conjunctio)には、神によって肉体と精神は一致させられているとしか書かれていない。つまり後の機会原因論者たちのように、肉体や精神の変容が起こるたびに神が働くのではなく、神の力によって元来つながるはずのない肉体と精神がつなげられているという説明である。神の介在を最小限にとどめてはいるものの、具体的にどのように肉体と精神が関係しているかは全く明らかにされていない。


1650-60年代のネーデルラント共和国では、クラウベルクやヨハネス・デ・レイ、クリストフ・ウィティキウスといった改革派の神学とデカルト主義を折衷しようとした動きが影響力を誇っていた。スピノザの思想の多くはこのネーデルラント・デカルト主義を超克する試みだと私は思っている。しかし同時に心身問題をみると、精神と肉体のあいだにいっさいの相互関係も認めなかったクラウベルクの思想にスピノザの思想は影響を受けているとみることもできる。


過去記事
「クラウベルクとデカルト主義」

A Companion to Early Modern Philosophy (Blackwell Companions to Philosophy)

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スピノザ―ある哲学者の人生

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科学史研究2014年7月号(No.270)

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インテレクチュアル・ヒストリーという方法論

5月24, 25日に、酪農学園で行われた科学史学会年会のシンポジウム「科学史とインテレクチュアル・ヒストリーの挑戦」(代表柴田)で、インテレクチュアル・ヒストリーという方法論についてコメンテーターというかたちで発表させていただいた。その発表をもとに、インテレクチュアル・ヒストリーというものに考えを巡らしてみたい。


 そもそもインテレクチュアル・ヒストリーとはどのようなものなのだろう。テクストとそのコンテクストを扱えばインテレクチュアル・ヒストリーになるのだろうか。そうであるのなら方法論としての厳密性がないばかりか、新しさもない。方法論をより厳密に定義するために、以下ではインテレクチュアル・ヒストリーの発展史をごく手短に概観していく。


 ドナルド・キャリーが示したように、インテレクチュアル・ヒストリーの起源は古代ギリシャまでさかのぼることができる (1)。しかし時間の都合上、第二次世界大戦後から始めていく。この時期のインテレクチュアル・ヒストリーの発展を語るには、『存在の大いなる連鎖』で知られているアーサー・ラヴジョイと彼が編集に携わった雑誌Journal of the History of Ideas を挙げなければならないだろう。ラブジョイは観念・アイデアの自律性を謳っており、思想研究の焦点はコンテクストにではなく、時空を超えた観念の発展にあると理解している。アンソニー・グラフトンによると、ラブジョイは学際的な共同研究を推進していたので、哲学という狭い枠組みのなかのみで概念の発展を捉えることはなかったとされる (2)。しかし戦前のドイツの精神史(Geistesgeschichte)の伝統を引き継ぐレオ・シュピッツァーにみられるように、ラブジョイのテクストとコンテクストを軽視する方法論に当初から批判を呈していた学者もいた。


 インテレクチュアル・ヒストリーの発展を理解するうえでもう一つ重要な点がある。世界大戦後のアメリカには戦火を逃れた著名なヨーロッパの学者が多くいた。このことは、学問の垣根がヨーロッパに比べて低かったアメリカの大学で、亡命学者による学際的な研究を多く生み出すことに貢献した。なかでもフェリックス・ギルバートやヴェルナー・イェーガーやパノフスキーなどはこの有名な例である。


 60-70年代にはいり、限られた範囲のなかでの言語の意味作用を重視するウィトゲンシュタインの哲学が主流になるにつれ、ディアクロニック・通時的に観念の発展を研究するヒストリー・オブ・アイデアは隅に追いやられるようになった。同時に学際的な思想研究も軽んじられるようになる。より厳密な学問をもとめて科学史が観念史から独立した分野として確立されるのもこの頃のことである。


 しかしインテレクチュアル・ヒストリーは80年代に入り息を吹き返すことになる。概念やテクストに焦点を当てたこれまでの方法論ではなく、より歴史的に思想を理解するという動きがでてきた。初期近代の思想研究では、スキナー、ポコックのケンブリッジ学派やケンブリッジ・シリーズに代表される哲学研究などが例としてあげられる。


 90年代以降では、テクストの生成過程や受容される共同体をふまえた思想研究がでてくる。文芸共和国や出版社の役割がそれである。同時に思想の物質的な文脈、つまり活版印刷の発展や図書館といった思想形成の土台となったような物資的なものや場も、思想研究において重要視されるようになる。


 近年では思想家や観念に焦点を合わせるのではなく、コントラヴァーシャル・ヒストリーという手法、つまり議論に焦点をあわせる研究方法に注目が集まっている。ジョナサン・イスラエルやアン・トムソンなどの研究をこの手法の代表的なものとしてあげることができる。


 このようにインテレクチュアル・ヒストリーといっても歴史的な変遷があり、その定義に関して多くの議論がある。思想の理解にコンテクストを重視するというとき、その文脈とは何を指しているのだろうか。隣接する他のテクストなのか、議論なのか、共同体なのか、政治なのか、方法論的な厳密さが研究者に求められる。



(1) Donald R. Kelley, The Descent of Ideas: The History of Intellectual History (Aldershot: Ashgate, 2002).
(2) Anthony Grafton, “The History of Ideas: Precept and Practice, 1950–2000 and Beyond,” Journal of the History of Ideas, Jan. 2006, 7-8.

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ジョナサン・イスラエルによるアン・トムソン批判

Jonathan Israel, Review of Ann Thomson, Bodies of Thought. Science, Religion and the Soul in the Early Enlightenment (Oxford: Oxford University Press, 2008), 320 pp. in Intellectual History Review 19(1) 2009: 141-142.

Bodies of Thought: Science, Religion, and the Soul in the Early Enlightenment

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 「ラディカルな啓蒙思想」のテーゼで知られるジョナサン・イスラエルによるアン・トムソンの『思惟の身体: 初期啓蒙思想における科学、宗教、霊魂』(オックスフォード大学出版、2008年)の書評は短いながらも思想史の面白さと難しさを見せてくれる。トムソンがこれまでにあまり研究されてこなかった英国とフランスの医学に造詣の深かった思想家たちに光を当てたことは評価しつつも、イスラエルは二つの根本的な批判を与えている。一つは、トムソンが論じるようなディドロとエルヴェシウスに代表される唯物論の二つの系譜は存在しないというものである。確かに幾つかの重要な点においてディドロはエルヴェシウスを批判したが、物質論についてはそれほど異なったものではないと論じている。イスラエルの研究が示しているようにフランス革命直前のラディカルな思想家たちには共通する思想的な父祖がいた。スピノザである。スピノザ主義こそがラディカルな啓蒙主義の根幹にあったものであり、ディドロもエルヴェシウスの唯物論もスピノザ的に理解されるという。


 二つ目のより根源的な批判は、トムソンの研究によると唯物論と共和主義的な民主制には関連性はないとされるが、この二つの親和性こそがラディカルな啓蒙思想の中心にあるというものである。確かにホッブスやラ・メトリの唯物論はラディカルな政治思想を生み出さなかったが、スピノザ以降、ドルバックやコンドルセやペインらの思想家たちは明らかに唯物論と共和主義的民主制に親和性を見出していることから、この点をトムソンの研究は大きく見誤っているとイスラエルは批判する。


 イスラエルの評価は手厳しいものであり、実体を欠いているものではないが、イスラエルの研究もまさにここで強調された点において幾つかの手厳しい批判を受けていることも知られなくてはならない。つまりイスラエルは「ラディカルな啓蒙思想」というスピノザ主義の系譜の一義性を強調するあまり、思想の多様性と複雑さを還元してしまうというものである。特にイスラエルのEnlightenment Contested(Oxford, 2006)以降、テーゼ先行の傾向はますます強くなってきている。宗教的なものや医学的なものが啓蒙思想にもたらした影響を見なければ、イスラエルの重厚な研究もいささかホイッグ史観になってしまう恐れがあることから、啓蒙思想の多様性を理解するためにもトムソンの研究をふまえる必要は大いにある。


 インテレクチャル・ヒストリーの面白さはテーゼに還元できないおもしろさにあるのは事実である。とはいっても多様性を重視するあまり、解釈学的な要素、つまり歴史における思想の事象がいったいどのような意味をもつのかという問いがないがしろにされてしまう傾向もある。雑多な事象に目をひらきつつ、思想史の意味を見いだしていくことは容易なことではない。だからこそ膨大な文献を読み込みそれに果敢に挑戦し続ける研究者にも敬意を払わなくてはいけないのではないだろうか。


補遺:本日2014年3月14日(金)15時より慶應義塾大学(東京・三田)研究室棟1階B会議室で、トムソン教授の講演が行われます。演題はBodies of thoughtとなっており、このイスラエル教授によるレビューとも大きな関係をもつものになるのが予想されます。詳細はこちら


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