オランダ旅行

しばしブログ更新をなおざりにしてしまった。そのお詫びといってはなんだが、オランダへの資料収集の旅の一部をご紹介させていただきたい。

4月28日から5月8日まで、オランダに滞在していた。今回の旅の目的は、17世紀後半にネーデルラントで行われた討論の記録と同時期に出版された書物をデジタルイメージとしてもち帰ってくることだった。既に収集した資料に加えて、これらの資料が博論の後半部分で役に立ってくれることを確信している。

指導教授のポスドク時代の同僚がユートレヒトで教鞭をとっていることから、幸運にもユートレヒトに二週間滞在することができた。ユートレヒトはオランダの中でも最も古い街のひとつであり、ローマ帝国が一世紀に築いた砦が礎となっている。8世紀にはフランク王国の北方征服の拠点となり、司教座がおかれた。中世には神聖ローマ帝国都市となり、街中央部にはカテドラルに隣接した高さ120メートルの塔が建てられることになる。宗教改革においても重要な役割をはたし、ネーデルラント連邦共和国のはじまりとなる「ユートレヒト条約」が調印された場所としても有名である。

ユートレヒトはオランダの中央部にあり、アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなどの都市への移動もとても便利である。今回の資料収集旅行では、アムステルダム大学、ライデン大学、ロッテルダム大学、そしてユートレヒト大学に行く必要があったので、活動の拠点としてはすばらしい場所であった。


研究状況
必要な資料の大部分はアムステルダム大学の古文書図書館にあった。この図書館には19世紀末に1575年から19世紀までにオランダの大学で行われた討論をカテゴリー別に網羅したカタログがある。van Woudenという学者によるカタログであるが、これがとても便利であった。ネーデルラント共和国においてライデンに大学が建てられたのが1575年である。初期近代の大学では中世から継続して討論(disputatio)がカリキュラムの中で重要な位置を占めていた。大学教員がテーゼを用意して、学生が賛成と反対の意見を用意していた。テーゼは法学、哲学、神学、医学という分野に分けられており、さまざまなトピックが議論されていた。
今回私が探していたのは、17世紀末におもにライデンとユートレヒトで行われていた神学・哲学の討論である。とくに神の概念とデカルト主義に着目して討論を検索していった。一部フラネッカー大学で行われた討論にも手を伸ばしたが、時間とページ数の関係上二つのメインの大学での討論にフォーカスをあてた。すでに集めていた資料を完全に覆すような資料は見つからなかったが、これまでの研究をサプリメントしてくれるようなものであることを確信している。


補足 お祭り
色々とオランダ観光をしたかったのだが、やはり時間が足りなく最小限のものになってしまった。しかし、偶然であるが、今回の旅行の日程の中にオランダ最大のお祭りである4月30日の「女王誕生日」が入っていたことはよい慰めになった。建国当時からプロテスタント教徒であったオランダにはカーニバル的な祝日はないが、この祝日は限りなくカーニバルに近いものであった。夕方から街はにぎわいだし、多くの人々が自転車で中心部に繰り出す。そこからは飲めや踊れやの大宴会である。私は、ホストになってくれた夫妻が大学のときに属していた学生会(fraternitas)が運河沿いに所有する建物で大いに楽しむことができた。オランダ人はやはりよく飲む!大宴会以外にも、まちには多くの露天商やフリーマーケットが出店しており、倉庫にうん十年眠っていたのではないかというような品物を胸を張って売っていた。このお祭りは明け方まで続き、町中を酔っぱらいとゴミだらけにしながらも、春の幸せなひとときをユートレヒトのまちにもたらしてくれたようだ。


近代の祝日が国家の聖性に関係してくるのは、どの国でも同じだが、ユートレヒトではカーニヴァレスクなものを残余として持ち続けているということは面白い発見であった。近代国家が教会の担っていた多く役割を継承して、聖俗入り乱れたものを作り出していった過程の中で、近代国家は中世にあったカーニバルの逆転の危険性を排除することに成功して来た。はめをはずし、快楽にふけることから為政者や聖職者を与えられた枠組みのなかで冒涜する構造がなくなっているのは興味深い。だらしないかっこうをさせられた聖職者のかわりにブルジョワ化された王家がオランダの人たちと仲良く交わる。飲み食い踊り狂っていてもどこかまだナショナリスティックである。そういう意味では、近代国家は国民をとても上品にさせてしまった。その代償としてひとたび世を席巻するナショナルフィーバーがおこると、それを逆転させる心的状態が欠落することになる。中世の人々は圧倒的な力によって屈服させられていたが、民衆の狐のような「ずる賢さ」はなくしていなかった。つまり精神までは隷属させられていなかった。近代国家は少数支配が中世のようにはいかないので、ナショナルなものを必要とする。そのためより一層、精神的忠誠が求められるのかもしれない。

これはオランダのみならず、アメリカでも同様にみられる現象である。バーベキュー好きなアメリカ人にとって、飲み食い楽しむこととナショナルな祝日に矛盾はない。メモリアルデイが夏の幕開けであり、退役軍人の日(Veterans’Day) が夏の終わりを告げる。その間には、7月4日という建国の日のパーティーがある!

このようなことを考えながらか考えずにか分からないが、水で薄められたビールを飲みながら、ここちよいトランスにあわせて半分錆び付いたダンスムーブをひもといていった。


ユートレヒト中央 



大学で行われた討論をカテゴリー別に網羅したカタログ



女王誕生日前夜祭