トウキョウソナタ

『トウキョウソナタ』をみる。2008年カンヌ映画祭において、「ある視点」部門審査員賞を受賞した、黒沢清監督の映画である。カメラワークがとても面白く、たとえば、役所広司扮する泥棒役に妻役の小泉今日子が誘拐され、逃亡の機会があるにも関わらず、あえて泥棒と行動をともにするシーンの横からのアングルはとても面白い。橋本和昌による音楽も、ものがたりの中心にすえられたドビュッシーの「月の光」とともに、淡白な味わいをだしている。ものがたり事体が、現代日本社会の絶望的閉塞感を表すものなので、淡白な、そして少し他人行儀な音楽が、傍観者としての観客に冷静な視点をあたえているのではないだろうか。


絶望的閉塞感。失われた十年が失われたまま、先行きの見えない世界的不況に襲われ、政治的にも経済的にも低迷を続ける日本。自殺率は97年以降ほぼ毎年のように3万人を超える(01、02、06年は3万人を切るが、それでも限りなく3万人に近い)。失業と自殺は関連しており、劇中でも、香川照之演じる主人公・佐々木竜平の高校時代の友人でである黒須が、失業から自殺している。社会を再生させるべく行政改革の進展は遅く、清算するものもせずに消費税の議論を始めるというインポテントな政治。その絶望的な日本をどのようにいきていくのか、それがこの映画のテーマではないだろうか。


最期のシーンでの、竜平の息子である健二の天才的なピアノ演奏によって、多くのひとが救いをうけるのは、あまりにもデウス・エクス・マキナ的で、もしこれが日本の希望であれば、どんでんがえしにしか希望がなくなり、それこそ絶望的である。この点においては、賛同できない。しかし、死よりあえて生を選ぶことに重点がおかれている点、一度象徴的死を体験した家族のひとりひとりが、生きていくという意思をもち、バラバラであった家族がもう一度むすばれていく点は、力を与えるのではないだろうか。


また、劇中では、佐々木竜助や黒須の日本人的プライドが、悲惨な状況を絶望的にさせている。あるいみ、黒沢監督は、このかっこつけ心情が、死にものぐるいで、なんとしてでも生にしがみつくことを日本人にやめさせていると訴えているのだろうか。日本人よ、いきよ、いきよ、と唱えているようにもみえる。


しかし、多くの人にとり、天才的芸術が日々の生活に現出するみこみはなく、実質的な希望がみえなくてはならない。これがどう政治につながり、生活を変えていくこのできる理念にかえられていくのだろうか。現状打破につなげるには、この映画は、あまりにもロマンチックで牧歌的である。


トウキョウソナタ [DVD]

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トウキョウソナタ オリジナル・サウンドトラック

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