スピノザの日

今日は朝から、スピノザに関する論文発表が大学であった。大学の哲学科のダニエル・ガーバー教授の提案で、一日をスピノザの研究発表につかう日をもうけられたようだ。Harry Frankfurt(プリンストン)、Pina Totaro(ローマ)、Sandra Field (プリンストン)、Carlos Fraenkel(マギル)、Julie Cooper(シカゴ)、Martin Lin(ラットガース)らの研究者がスピノザの思想について発表をした。

残念なことに、発表者のほとんどはスピノザの知的・社会的文脈に言及しておらず、また、哲学史の流れの中でスピノザをとらえていなかった。唯一、 Julie Cooperが17世紀の反スピノザ的神学者の「謙遜」の概念について、語っていたぐらいであった。思想史的にみても、スピノザの根本的矛盾をヘーゲル、ニーチェ、そして最近ではドゥルーズやバディウが回答をだしている。それを言及せずに、あたかもスピノザが現代の思想家であるかのような分析に時折いらついた。また同時に、逆説的ではあるが、スピノザの思想をときに、神秘的、矛盾的ととらえ、簡単に乗り越えてしまう姿勢にも疑問を感じた。テクストを読む者としては、スピノザをどうとらえるのではなく、スピノザにどうとらえられるかという姿勢を持ち続けたい。