スコトゥス補足

今朝読んだ論文で"Radical Orthodoxy"派のCatherine Pickstockが書いた "Duns Scotus: His Historical and Contemporary Significance" Modern Theology 21.4(2005), 543-74. がなかなかすばらしかった。彼女のトマス理解のほうが、分析哲学やプラグマティズムに傾倒している人たちが読むトマスより正しいだろう(Finnis, Bowlin, McIntyre)。しかし、ネオプラトン派にみられる「参与」(participation)の概念がニーチェ以降の反存在論、ニヒリズムを乗り越えていくとも思えない。普遍の問題はどうするのだ?「参与」が普遍を成立させるのであれば、順序が逆である!